2013/06/20

一乗谷城跡

12-13年冬の18切符4つ目は一乗谷城跡。どうせなら雪景色での朝倉館唐門を見たくて、雪予報のときに行ってきた。
山麓の城下町と山城である一乗谷城を合わせて一乗谷朝倉氏遺跡と呼ばれているが、さすがに雪の中を登山するわけには行かず、この日は朝倉館等がある山麓側のみ。

一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害であった。しかし小谷城へ援軍に行き、信長軍に敗れて越前に撤退すると、信長軍は大挙して追撃。この撤退途中でも大敗して山城に籠城する戦力も残らなかった朝倉義景は、一乗谷を放棄し大野へ逃れる。そして一乗谷は侵攻してきた信長の軍勢により火を放たれ灰燼に帰した。信長支配後は柴田勝家が本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたため、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。
現在は朝倉義景館唐門が現存するほか庭園が発掘され、特別史跡・一乗谷朝倉氏遺跡として整備されている。

期待どおりの雪景色でその点は満足だったが、帰りは雪が激しくなってきて、九頭竜線が止まったらどうしようと、ちょっと心配になった。



①下城戸の土塁
一乗谷は足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あい(一乗谷)に築かれた。そのため防御用に、谷の出入り口である南北に土塁を築いて城門を配した。これはその北側の下城戸。
九頭竜線・一乗谷駅から南へ歩いていくと、まずはこの土塁がお出迎え。




下城戸の虎口
下城戸を内側から見る。かなり立派な石垣が積まれている。


③朝倉館堀と隅櫓跡
下城戸の土塁からさらに南に進むと、結構距離が離れているが朝倉館跡が見えてくる。
朝倉館跡は朝倉家当主が居住した館で、背後に山城があり、他の三方を土塁と堀で囲まれている。これはその南西の隅櫓跡。


④朝倉館唐門
この唐門は朝倉氏の遺構ではなく、のちに朝倉義景の菩提を弔うために作られたと伝わる。現存するものは江戸時代中期頃に再建されたもの。


⑤朝倉義景墓
館跡の東南の隅にある。福井藩主松平光通が墓塔を建立した。


⑥朝倉館跡南側の高台
朝倉館跡からから湯殿跡庭園のある高台へ登っていく。


⑦湯殿跡庭園
朝倉館跡南側の高台にある庭園。一乗谷朝倉氏庭園の中で最も古いものだと考えられる。


⑧湯殿跡庭園から見た朝倉館跡


⑨湯殿跡庭園と中の御殿跡とを結ぶ橋および土塁


⑩橋からの眺望
正面の山の麓に当時の町並みを復元した、復原町並が見える


⑪中の御殿跡
朝倉館跡の南隣にあり、空堀を隔てて湯殿跡庭園とほぼ同じ高さの場所にある。朝倉義景の母である光徳院が居住したと伝えられている。


⑫中の御殿跡から見た朝倉館跡


⑬復原町並
朝倉館跡と道路を挟んだ向かいには、当時の町並みが復元した原寸大の立体模型である復原町並が公開されている。しかし、この日は閉まっていて中に入れなかったので、閉まっている扉の上から写真を撮った。


⑭朝倉館周辺案内図


⑮帰り道での一乗谷
朝倉館跡からの帰り、一乗谷を北に歩いていると、この雪。一本道だから良かったものの、もう少し複雑なコースなら駅にも辿りつけなったかも(^^ゞ
少なくとも、調子に乗って山城の方に登っていたら、ドえらい目に合っていた。


⑯雪に埋もれた一乗谷駅
一乗谷駅は建物が無くホームしか無かったので、外からみるとどこに駅があるのか分かりにくい。
しかもこの日は雪に埋もれていたので、道路を歩きながら通り過ぎたかもと何度も不安になった。
(写真は行きに撮ったもの)


[一乗谷城跡マップ]
 ※さらに拡大したいときは「地形」から「地図」に変更する

より大きな地図で 一乗谷城跡 を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿