2013/06/14

桑名城跡

神戸城跡の次は、桑名へ行って桑名城跡へ。

桑名城は徳川四天王の一人、本多忠勝が築いた水城。
その起源は鎌倉時代で、桑名行綱がこの地に城館を築いたのが最初だと言われる。戦国期には伊藤氏が支配し、信長侵攻後は滝川一益が治めた。秀吉時代は城主が目まぐるしく変わり、江戸時代には本多忠勝が入城、忠勝により櫓五十一基、多聞四十六基という巨大城郭が完成させる。
幕末の藩主・松平定敬は京都所司代として京都の治安を預かり、禁門の変後に朝敵となった長州藩士を京都で見つけたら補殺していた。そのため長州藩から憎まれ、戊辰戦争では官軍に降伏するも許されず、城は灰燼に帰した。そのため、遺構はあまり残っておらず、石垣もほとんどが積み直したものである。

城跡が九華公園となっているので、その公園内はウロチョロしたのだが、公園外を見落としていた。公園の北の川岸には蟠龍櫓が復元されており、その途中の堀沿いの石垣は当時の遺構らしい。事前の調査が足りなかった orz


①三の丸堀
桑名駅からまっすぐ東に行くと、まず堀と石垣がある。この堀は三の丸堀で、その向こうは三の丸跡だと思われる。ただし、この石垣は遺構かどうか不明。ここより北側の河口に近い部分は当時の遺構らしいが、そっちは見落としてしまった。



②本多忠勝像
三の丸堀から先に進むと九華公園に着き、その入り口付近で本多忠勝像がお出迎え。
桑名城を築城した本多平八郎忠勝は、「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」とまで謳われた名物家臣。


③二の丸堀
九華公園の南の端には二の丸堀がある。


④吉野丸堀と東屋
二の丸堀の北側からさらに北を見る。


⑤吉野丸堀と二の丸跡
④の橋から南西を見る。水城らしく、各曲輪が水の中に浮いている感じになっている。
ただし、この辺りの堀や石垣は後日に復元したものであって、当時の遺構では無い。そのため、堀や二の丸跡の形も当時とは異なっている。


⑥吉野丸堀と本丸跡
二の丸跡より西の曲輪から北を見る。吉野丸堀の向こうに本丸跡が見える。


⑦神戸櫓跡
本丸の南西にある隅櫓跡。豊臣時代に神戸城の天守を移築したと言われ、忠勝による城拡張時にもそのまま残された。


⑧辰巳櫓跡
本丸の東南にある隅櫓跡。三重櫓があり、天守焼失後は桑名城のシンボル的存在だったが、官軍に降伏後に焼き払われた。


⑨辰巳櫓跡にある大砲
辰巳櫓跡の上には何故か大砲が置いてあるが、この由来等は不明とのこと。


⑩本丸跡にある鎮国守国神社
本丸跡にはご他聞に漏れず、神社が建っている。


⑪天守台
本丸跡の北東にある天守台。1701年に天守は焼失以来再建されていない。石垣は新たに積み直されたもの。



⑫桑名城跡平面図




[桑名城跡マップ]


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