三成の佐和山城跡の次は秀吉の長浜城に行った。
長浜城は秀吉が初めて一国一城の主となり築いた平城。小谷城落城後、その浅井攻めの功によりこの地を与えられた秀吉は、山中にある小谷城では領国支配に不適当なため、水陸両路の要衝である長浜に新たに築城した。この時、小谷城で使われていた資材等が使用された。
関ヶ原の戦の後に廃城となり、資材の大半は今度は彦根城の築城に流用されて、長浜城は跡形もなくなくなった。
①模擬天守
犬山城や伏見城をモデルにして再建されたもの。姿形が異なるだけでなく、場所も本来の位置とは違う模擬天守。
名称も「長浜城」では無く、あくまで「長浜城歴史博物館」ということなっている。
②本丸跡石碑
模擬天守が建っているあたりはかつて本丸があり、「長浜城本丸跡」の石碑がある。
③太閤井戸の碑
長浜城築城の時に秀吉が掘らせたと言われる。
ただし写真は別の日(横山城跡からの帰り)に撮ったもの。
④知善院表門
長浜城の資材は彦根城だけでなく、近くの寺にも流用されており、知善院の表門は長浜城搦手門(裏門)が移築されたものと言われている。
もう一つ、近くの大通寺の台所門も長浜城の大手門が移築されたものと言われているが、その台所門は修復中だった。
[長浜城マップ]
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