2014/06/01

熊本城

18切符での在庫が無くなったので、2年前に九州出張時に前泊して行った熊本城。
熊本城は茶臼山に築かれた梯郭式平山城で、名古屋城・姫路城(または大坂城)とともに日本三名城の一つに挙げられている。

熊本城と言えば加藤清正が築いたことで有名だが、それ以前にも茶臼山一帯には中世城が存在した。
文明年間(1469-1487)に菊池一族の出田秀信が茶臼山東端に千葉城を築いたのが始まり。その後、鹿子木寂心が茶臼山西南麓に隈本城を築いた。
戦国時代になると城主が次々と入れ替わるが、秀吉時代に肥後北半国の領主となった加藤清正が入城し、茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめる。その最中、関ヶ原の功で肥後一国の領主となったため、計画変更されてさらに大規模な城となった。1607年の完成を機に、隈本城から熊本城に改名された。加藤氏は清正の子・忠広のときに改易。その後に細川忠利が領主となり、明治維新まで続いた。
西南戦争で4,000人が籠城した熊本城は、西郷隆盛率いる14,000人の反乱軍により攻められたが、1人として城内への侵入を許さず、熊本城の難攻不落ぶりが証明された。しかしこのときに一部の建物を残して主要な建物を焼失してしまった。

昭和になってから築城350年を期に大小天守と平櫓、塀などが復元、平成になってからは築城400年を期に本丸御殿、いくつかの櫓、塀などが復元、現在も復元工事中である。





(1) 長塀(重文)
城の南側には、東の平御櫓から西の馬具櫓まで約242mの塀が続いており、現存する城郭の塀の中では最長を誇る。その外側にあるのは天然の堀である坪井川。





(2) 平御櫓(復元)
長塀の東端には平御櫓があり、その脇にある須戸口門から、熊本城内に入る。


(3) 田子櫓・七軒櫓(いずれも重文)
須戸口門から竹の丸に入るが、その北側には高石垣と櫓群が見える。熊本城の東側には焼失を免れた現存の建物が結構残っており、それらは重要文化財に指定されている。
その一番南側にあるのが田子櫓でその北側にあるのが七軒櫓。田子櫓は収納していた木製の容器の名前から、七軒櫓はその長さから付いた名前。


(4) 十四間櫓(重文)
七軒櫓の北側には十四軒櫓がある。

(5) 四間櫓(重文)
十四軒櫓の北側にある四間櫓。

(6) 源之進櫓(重文)
四間櫓の北側にある源之進櫓。櫓を管理していた人の名前から付けられた。

(7) 石段
源之進櫓の北側にある坂を登り、高石垣の上の東竹の丸に行く。


(8) 東十八間櫓(重文)
石段を登ったところから振り返る。
源之進櫓から少し離れて北側にある東十八間櫓。


(9) 不開門(重文)
東竹の丸の北側にある不開門。熊本城全体からみると鬼門である北東に位置し、普段は閉ざして不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたと言われている。

(10) 平櫓(重文)
不開門から下に降りて、西側にある平櫓を見上げる。

(11) 五間櫓(重文)
不開門の東側にある五間櫓。その右側に屋根が見えるのが不開門。

(12) 北十八間櫓(重文)
五間櫓の東にある北十八間櫓。その奥にみえるのは(8)の東十八間櫓。

(13) 北十八間櫓下の高石垣
この高石垣の武者返しも素晴らしい。

(14) 本丸御殿と一乃開御門(いずれも復元)
不開門から東竹の丸に戻り、本丸御殿の東側の一乃開御門から地下の闇通路に入る。

(15) 本丸御殿と闇通路北側出入口
本丸御殿地下の闇通路は東西南北いずれへも出入口があり、北側に進むと本丸に出る。



(16) 本丸御殿への入口
本丸御殿へは北側の本丸から入る。ただし、本来は地下の闇通路に玄関があり、そちらが正式な入口らしい。

(17) 本丸御殿大御台所
本丸御殿東側にある大御台所。


(18) 本丸御殿大広間
梅之間・櫻之間・桐之間・若松之間と分かれていてるが、仕切られている襖をとることで大広間となる。

(19) 本丸御殿昭君之間
藩主の会見の場で、大広間にて最も格式の高い部屋。「昭君の間」は「将軍の間」の隠語であり、秀吉子飼いの大名である加藤清正が、万一のときには豊臣秀頼を大坂城から脱出させ、熊本城に迎え入れるための部屋だと言う説もある。

(20) 本丸御殿縁側
大広間の南隣りにある縁側。


(21) 本丸御殿茶室


(22) 本丸御殿間取り図


(23) 大天守及び小天守(いずれも復元)
本丸御殿から本丸に戻り、大天守及び小天守を見る。


(24) 大天守から西側の眺望


(25) 本丸御殿と闇御門
本丸から闇通路に入り、今度は西側の出入口である闇御門から出る。


(26) 大天守及び小天守
闇御門から出て、天守西側の平左衛門丸に行く。その平左衛門丸から見た大天守及び小天守。


(27) 大天守石垣の武者返し
ここの武者返しも本当に見事。


(28) 宇土櫓(重文)
平左衛門丸の北西隅にある三重五階の巨大櫓。

(29) 南大手櫓門(復元)
平左衛門丸の西側にある西出丸の南側の門。

(30) 西大手櫓門(復元)
西出丸の西側の門。

(31) 元太鼓櫓(復元)
西出丸の南側にある奉行丸の北西隅櫓。


(32) 戌亥櫓(復元)
西出丸の北側にある曲輪の北西隅櫓。


(33) 未申櫓(復元)
奉行丸の南西隅櫓。

(34) 飯田丸五階櫓(復元)
飯田丸の南西隅櫓。三重三階の櫓だが、内部への入口が石垣の中にあり地下2階に相当するので、合わせて五階櫓と呼ばれた。
熊本城には三重五階櫓が5基あった。


(35) 竹の丸
飯田丸の南側にある竹の丸から北にある天守を見る。

(36) 加藤清正像
南側から熊本城の外に出た広場には、この熊本城を築いた加藤清正像がある。


(37) 熊本城案内図


[熊本城マップ]


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