2014/03/01

大松山城跡

天神の丸跡の次は大松山城跡へ。

大松山城は、標高470mの大松山山頂に築かれた山城。鎌倉時代に地頭であった秋庭氏が築いたと伝えられる。臥牛山に最初に築かれた城で、臥牛山一帯の城塞の中で最初はこちらが本城だったが、のちに小松山に築かれた備中松山城が本城となった。



①大松山城跡
右側に見えるのが本丸跡、正面から左に見えるのが二の丸跡の土塁。






②井戸跡
①の本丸・二の丸の手前の曲輪に井戸跡がある。

③本丸跡


④二の丸跡


⑤堀切
二の丸跡の西側、三の丸跡との間には堀切があった。


⑥三の丸跡


⑦曲輪跡
三の丸跡の西側には曲輪跡が何段もあった。


⑧大池
天神の丸跡方面へ戻り、その途中、大松山城跡と天神の丸跡との間の谷筋を東に降りた先にある。
別名「首洗いの池」とも呼ばれ、人の首や戦で使われた刀を洗ったと伝えられる。

⑨番所跡
臥牛山は北東方向のみ他の山と連なっているため、そこからの出入りを監視するために設置された。



⑩切通堀切
他の山がある北東方向の守りを固めるために築かれた。

⑪吊り橋から振り返る
現在は臥牛山と北東の山とは切通堀切まで降りなくても吊り橋で繋がっている。その吊り橋から城跡を振り返る。正面左側が天神の丸跡で、右側が大松山城跡。


⑫吊り橋から南東側の眺望


⑬大松山城跡案内図







[大松山城跡マップ]


より大きな地図で 備中松山城 を表示

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