三原城は広島県三原市にある梯郭式平城。、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれた。
その古高山城から新高山城へ本城を移した小早川隆景は、小早川水軍をより効率よく運用するために三原湾に臨むこの地に三原城を築き、ここを本城とした。小早川隆景は豊臣政権になってから筑前・名島城に本城を移すが、隠居後にまた三原城に戻り、さらに三原城を整備した。
関ヶ原の戦いの後には福島正則が安芸・備後に入封し、新たに三原城の城主となった養子・正之によりさらに改修された。
維新後に廃城となり、城跡は駅用地に使用され、また石垣も大部分が撤去された。さらに山陽新幹線開業で、同新幹線と山陽本線の三原駅(高架改良後)が本丸および天主台跡を貫き、城地は寸断され現在の姿になった。
①三原駅への出入口のため繰り抜かれた石垣
一応、石垣を保存すべく石垣の縁の上を跨いで三原駅が建設されたとのことだが、駅への出入口は石垣をぶち抜いている。
②天守台石垣
天守台の周りを反時計周りに歩いてみる。
③三原駅のため削られた石垣
三原駅を造るにあたり、石垣に配慮したらしいが、あちこちで無残な姿が見受けられる。
④天守台
駅の北側にある天守台には、駅構内から登る。
⑤天守台から見る夕焼け
天守台から南西方向の眺望。内堀と三原駅と夕焼け。
⑥新幹線によって削られた本丸石垣
天守台の東側の本丸石垣。ここが一番無残な状態だった。
⑦舟入り跡
天守台より南東側に少し歩くと舟入り跡があり、三原城が城郭兼軍港としての機能を備えていたことがわかる。
⑧舟入り櫓台
舟入り跡の西には舟入り櫓があった。
⑨臨海一番櫓跡
舟入り櫓から西に向かった先には臨海一番櫓があった。当時はここまで海だった。
⑩本丸中門跡
臨海一番櫓跡のすぐ北に本丸中門があった。
⑪三原城縄張り図
[三原城跡マップ]
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