2014/01/04

笠置城跡

笠置城は、京都府の南東部・奈良県境に位置する標高289メートルの笠置山に築かれた山城。
笠置山は山中の至るところに花崗岩の巨岩が露出し、山頂には磨崖仏の巨大な弥勒仏を本尊とする笠置寺が建立して、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えた。東西に流れる木津川の南岸にあり、東・北・西の三方が急斜面となっている要害の地で、後醍醐天皇が最初に挙兵したとき、ここに篭った。7万の幕府軍相手に善戦するが、1か月後に落城し、後醍醐天皇は隠岐に流された。



①笠置駅から見る笠置城跡
笠置城跡のある笠置山は駅から東にすぐの距離だが、この日は霧が濃くて全容が見えず。





②大手橋
笠置城の西側にある。その名は笠置城の大手門があったことに由来すると言われている。



③登城路
笠置城への登城路はかなり上まで車道がある。この車道以外に直線でショートカットできそうな登山道は無さそう。

④一の木戸跡
案内板が無ければ、ここが木戸跡だったとは全く分からない。

⑤笠置寺境内
笠置山頂一帯は笠置寺の境内となっている。


⑥薬師石
左手の階段を上らず直進すると、巨岩がお出迎え。まずは薬師石。


⑦弥勒大磨崖仏
薬師石からさらに直進すると巨石に刻まれた弥勒大磨崖仏がある。


⑧虚空蔵菩薩磨崖仏
正月堂の裏手を通って修行道を進むと、ここにも巨岩がある。写真右側の樹の枝に半分隠れているところに虚空蔵菩薩磨崖仏がある。現地では気付かず、そこを中心に撮っていなかった。

⑨胎内くぐり
笠置山修行場の入口にある。身を清めるための滝がないために、この岩をくぐりぬけることで身を清めたと言う。

⑩太鼓石
叩くと音がすることから太鼓石と言われる。実際に叩いてはみなかった。

⑪ゆるぎ石
重心が中央にあり人の力で動くため「ゆるぎ石」と言われている。幕府軍の奇襲に備えるための武器としてここに運ばれたが使用されなかった。

⑫平等石
笠置寺のホームページには「平等石の名前は、お堂の中を回って修行する行堂が平等に変化したのではないかと思われます。」とあるが、意味がイマイチ分からない。

⑬平等石から見た雲海
この日は霧が発生していたが、その霧が雲海となって広がっていた。

⑭蟻の戸わたり
平等石から先へは、この石の間を通り抜ける。体を斜めにして手で支えながら進む必要がある。


⑮二の丸跡
笠置城とあるが、後醍醐天皇の仮皇居であり築城はされていなかった。しかし、山頂行在所跡を本丸と見立てたのか一段下のこの広場を二の丸跡と呼ぶようになった。


⑯二の丸跡から見た雲海


⑰宝蔵坊跡
幕府軍の夜襲で最初に焼かれた処と言われている。宝物・資料が焼失した。
現在はもみじ公園となって、見事な紅葉だった。


⑱後醍醐天皇行在所前


⑲後醍醐天皇行在所跡
御所を脱出した後醍醐天皇を受け入れた場所。
修行道を通ってここに攻め入ろうとすると、かなりの難関だが、ここから大師堂を通って⑤の場所の境内入口付近にすぐ出る。そこから攻められると、在所跡まですぐ辿りつけてしまう。

⑳南に抜ける道路
笠置城は三方は急峻な崖となっているが、残る南側はかなり緩やかな道となっている。南北町時代の城なので、堀切や土塁と言った大規模な防御施設も無い。南側から力押しすれば、すぐ落城しそうなのに、7万の大軍相手に善戦したのは何故なんだろう。




[笠置城跡マップ]


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