2013/12/31

吹田城跡

摂津太田城跡の次は、吹田城跡へ。

吹田城が史料に現れるのは南北朝時代からで、荒木村重の信長反逆時までは存在していたと思われる。
片山神社横の片山公園からアサヒビール吹田工場あたりにあったと言われているが、遺構が無いばかりか、周辺の工事時にも遺跡が発見されず、城郭に関しては不明な点が多いままである。



①片山公園
阪急・吹田駅から北東の国道沿いに進み、歩道橋から片山公園のある小山を見る。
いかにも平山城があったっぽい小山。




2013/12/28

摂津太田城跡

普門寺城跡の次は、阪急・富田駅から一駅乗って総持寺駅で降りて摂津太田城跡へ。

摂津太田城は、この地域では最も古い城で平安時代末期に太田頼基により築かれたと言われている。
戦国時代前半を最後に歴史上から名前が消えたので、その頃に廃城になったと思われる。

現在は遺構は全く無く、こっそり石碑が建っているのみ。


①石碑
阪急・総持寺駅から北へ進み、東芝工場の北側にこっそりと建っている石碑。



2013/12/25

普門寺城跡

摂津今城跡の次は、2kmほど南にある普門寺城跡へ。

普門寺城は、三好長慶により元管領・細川晴元を隠居させ幽閉するために、荒廃していた寺に築城したと言われている。(細川晴元が政争の難を免れて自ら入山という説もあるり)
その後、三好3人衆に擁された足利義栄の14代将軍の宣下式が、この城で行われた。

最盛期には、周辺の三輪神社、本照寺、高槻市立富田小学校辺りまで城郭の一部だったが、現在は境内の北側にわずかに土塁跡が残っている程度である。



①普門寺山門
阪急の富田駅から南に15分ほどの場所にある普門寺一帯に城があった。



2013/12/21

摂津今城跡

高槻市にある摂津今城跡。
織田信長が摂津侵攻時に前方後円墳(今城塚古墳)を利用して築いたと言われている。古墳では珍しく立入禁止にはなっておらず、自由に中を見学できる。古墳の周りには二重の堀があり、正に城向け。ただ、内部はあまり城跡っぽい改変はされておらず、城というより砦レベルだったかも。

JRの摂津富田駅、阪急の富田駅より北に歩いて20分ほど。



①外堀跡
駅から向かうと、西側の外堀跡に着く。水は無く、遊歩道となっている。


2013/12/14

伏見城跡

18切符での過去分が終了したので、この夏の18切符以降の城攻め分を。
まずは秀吉が隠居用に作った伏見城跡。ただし秀吉時代の城は関ヶ原の戦の前哨戦で焼失してしたため、現在の遺構は家康が改修したもの。しかしその伏見城も家光が三代将軍になってすぐに廃城となった。

後年、この地が明治天皇陵となったため、その築造のため一部改変され、さらに本丸跡・西の丸跡・三の丸跡・治部少丸跡・名古屋丸跡・松の丸跡は、現在立入禁止になっている。しかし、そのおかげで開発を免れ、一部改変された部分以外は廃城時の遺構が残っているとのこと。(立入禁止なので、見れないが)

戦後に伏見城の北西の曲輪である御花畑山荘跡に伏見桃山キャッスルランドがオープン。その象徴として模擬天守が建てられた。遊園地は閉園したが、この模擬天守がまだ残っている。



①伏見城跡遠景
近鉄の桃山南口駅から北へ向かう道中の交差点から伏見城跡を見る。



2013/12/07

赤穂城


龍野城の次は忠臣蔵で有名な赤穂城へ。

赤穂城は、戦国時代初期に岡光広が築城した加里屋城が始まり。その後、関ヶ原の功績で姫路藩主になった池田輝政の弟・長政が改修して大鷹城を築城。そして安芸広島浅野家の別家・浅野長直が5万3千石で入封後に、現在の縄張りとなる城を築いた。本丸と二の丸が輪郭式で三の丸が梯郭式の変形輪郭式の平城で、浅野氏に仕えた甲州流兵学者の近藤正純による縄張り。しかし赤穂城は5万3千石にしては分不相応な規模の城で、そのために財政難に陥った。

維新後は廃城となり、城内の建物は破却され石垣と堀のみが残る。その後、昭和中期から平成にかけて櫓・門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二の丸庭園の再建が進められている。

※最初に訪れた時は年末年始休みで本丸内に入れなかったので、2013年に再訪。その時の写真も追加。


三之丸
まずは北側にあり、大手側となる三之丸跡から。


(1) 大手門と三之丸隅櫓(いずれも復元)
現在も播州赤穂駅から歩いて行ったときの入口となるが、当時も城下からの正面玄関となっていた。隅櫓は大手門を監視する防御の要であった。