2013/07/04

越前大野城

福井城跡の次は、九頭竜線に乗って越前大野城に。

越前大野城は標高249mの亀山に築城された梯郭式平山城。越前一向一揆を平定した恩賞として信長から越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近が築城。その後、金森長近は飛騨高山に転封し、越前大野城の城主はたびたび替わった。江戸時代には越前松平氏を経て土井氏が城主となり、そのまま維新を迎えた。維新後は建造物は全て取り壊され、石垣のみが残された。

とにかく九頭竜線が不便すぎる。18切符での移動で特急を使わなければ、大阪から始発に乗っても福井着は9:51になる。で、九頭竜線への乗り継ぎはというと、何と12:49発まで列車が無い! その前の列車が9:08発で、どう頑張ったところでその列車には乗れない。3時間半も列車が無いのなら、もう少し乗り継ぎの利便性を図ったダイヤにしてくれてもいいのに。
(逆にわざと不便にすることで、サンダーバードに乗せようという魂胆なのかも知れないが)



①藩主隠居所(移築)
越前大野駅から西に向かうと、まず幕末の藩主・利忠の隠居所がある。







②百間堀(復元)
さらに西に行くと、越前大野城の外堀であった百間堀が復元されている。


③南登り口の城門(模擬)
城の登り口は3箇所あるが、亀山の南東にある南登り口から登る。
往時はこの登り口は無く、観光用に造られたものらしい。(ということは城門も無かったので模擬再建)


④城門(再建)
南登り口の途中には曲輪跡なのか新たに作ったのか不明のだが遊具公園があり、その先に城門がある。


⑤武具蔵跡
城門から本丸に入って左手には武具蔵があった。

⑥天守台石垣
信長の時代の城の石垣なので、自然石をそのまま加工せずに積み上げる「野面積み」となっている。
かなり勾配のきつい階段を登る。


⑦復興天守
北西方向から見た復興天守。往時の絵図や創建当時の同時期の他の城の天守を元に、鉄筋コンクリート構造によって推定再建されたもので、史実に基づいた復元再建ではない。


⑧天守から南側の眺望
小天守越しに、大野市街とその南西の山並みが見える。

⑨越前大野城遠景
移築門を見るため駅とは反対の西側へ行き、そこから見た越前大野城。


⑩案内図


⑪不明門
市内中丁真乗寺に移築されて山門となっている。


⑫鳩門
櫓門であった鳩門の門部分が光明寺に移築されて、山門となっている。(ただし、現地には移築されたという案内は一切無し)


⑬戌山城址がある犬山
越前大野城天守からの西側の眺望だが、正面に見える低い方の山が戌山城址のある犬山。
金森長近が越前大野城を築くまでは、戌山城がこの地を治める城だった(越前大野城築城後は廃城)。
朝倉義景を裏切った朝倉景鏡はこの戌山城の城主で、朝倉義景はここ大野に落ちのびて、そこで首をとられた。




[越前大野城マップ]


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