田辺城も細川藤孝が築いた城で、始めは宮津城を本城としていたが、後にこちらを丹後経営の中心とした。関が原の戦いのときには、西軍の1万5千人もの大軍で包囲されるが、50日間守った城として有名。このとき、忠興が大多数の兵を率いて関ヶ原に行っていたので、守兵はわずか500人程度であった。
京極高知が入封すると本拠を宮津城に移して田辺城は一旦廃城となるが、高知死去後は三人の子供に分割相続されたため、田辺城は再興された。
現在、田辺城跡は舞鶴公園になっており、二層櫓と大手門が再建されている。
①大手門(再建)
本来の内堀だった場所に再建された。同じ再建するなら、本来の場所に再建すればいいのに。
櫓門の2階部分は資料館となっている。
