遠征最終日は標高216mの横山山頂に築かれた岩国城。
関ヶ原の戦いで西軍ながら傍観して東軍勝利に貢献した吉川広家が米子から岩国に移って築城した。
しかし完成からわずか7年後、一国一城令により廃城。広家は周防国内には岩国城しかないと主張したが、毛利本家の意向により山上部分は取り壊された。
広家は関ヶ原で毛利本家を存続させるために徳川に恩を売ったつもりが、毛利本家から見ると広家の裏切りにより西軍が敗北し、そのため3ヶ国に減らされてしまった恨みが残ったためと言われる。
(1) 大手橋(錦帯橋)
日本三名橋として観光客で賑わう錦帯橋は、岩国城と城下町をつなぐ橋として錦川に架けられた。しかし錦川の洪水の度に流失。
3代領主吉川広嘉のときに洪水に耐えられる橋をと5連のアーチ橋の錦帯橋が造られた。
