2014/09/28

勝瑞城跡

この夏の18切符での城攻めは讃岐・阿波へ。
今年の8月は雨ばかりで広島遠征以降はなかなか行けなくて、ほぼ1ヶ月ぶりの城攻め。

まずは旧吉野川の南岸の自然堤防上に築かれた平城である勝瑞城跡。東側には今切川、南側には湿地帯に接している要害の地であった。築上年代は定かでは無いが、承久の乱の後に阿波守護になった小笠原長清が守護所を設けたのが始まりという説もある。
室町時代に阿波守護・細川氏によって守護所が置かれ、戦国時代には細川氏の実権を握った三好氏の本拠となった。三好氏は一時畿内も支配したが、信長の台頭により畿内から追い出され、また四国も土佐より台頭してきた長宗我部元親の攻撃を受け敗走。そのまま廃城となった。

現在は本丸跡とその周りの堀および土塁が残っているが、その堀や土塁は、侵攻してくる長宗我部軍に対抗するために守りを固めたときのものと考えられている。




①石碑
勝瑞城跡はJR勝瑞駅の北西600mほどのところにあり、車道から城跡への入口付近にひっそりと石碑がある。



2014/09/21

岩国城

遠征最終日は標高216mの横山山頂に築かれた岩国城。

関ヶ原の戦いで西軍ながら傍観して東軍勝利に貢献した吉川広家が米子から岩国に移って築城した。
しかし完成からわずか7年後、一国一城令により廃城。広家は周防国内には岩国城しかないと主張したが、毛利本家の意向により山上部分は取り壊された。
広家は関ヶ原で毛利本家を存続させるために徳川に恩を売ったつもりが、毛利本家から見ると広家の裏切りにより西軍が敗北し、そのため3ヶ国に減らされてしまった恨みが残ったためと言われる。



(1) 大手橋(錦帯橋)
日本三名橋として観光客で賑わう錦帯橋は、岩国城と城下町をつなぐ橋として錦川に架けられた。しかし錦川の洪水の度に流失。
3代領主吉川広嘉のときに洪水に耐えられる橋をと5連のアーチ橋の錦帯橋が造られた。


2014/09/13

亀居城跡

吉田郡山城跡の次は、広島県大竹市にある亀居城跡へ。
亀居城は、広島城の支城として福島正則が築城した平山城。

関ヶ原の戦いの後に広島城へ入城した福島正則は、毛利氏の抑えのため、安芸国西部の山陽道を押さえる要地に築城した。5年もの歳月をかけて巨大な堅城を築いたが、豊臣氏と徳川氏との間に緊張が高まると豊臣恩顧大名である福島正則も徳川氏に警戒され、そのため完成よりわずか3年で廃城になった。

現在は大竹市指定史跡に指定され、亀居公園として整備されている。



①亀居城跡遠景
JR玖波駅で下車し、山陽本線に沿って下り方向に歩くと、亀居城跡のある丘陵が見えてくる。