熊本城は茶臼山に築かれた梯郭式平山城で、名古屋城・姫路城(または大坂城)とともに日本三名城の一つに挙げられている。
熊本城と言えば加藤清正が築いたことで有名だが、それ以前にも茶臼山一帯には中世城が存在した。
文明年間(1469-1487)に菊池一族の出田秀信が茶臼山東端に千葉城を築いたのが始まり。その後、鹿子木寂心が茶臼山西南麓に隈本城を築いた。
戦国時代になると城主が次々と入れ替わるが、秀吉時代に肥後北半国の領主となった加藤清正が入城し、茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめる。その最中、関ヶ原の功で肥後一国の領主となったため、計画変更されてさらに大規模な城となった。1607年の完成を機に、隈本城から熊本城に改名された。加藤氏は清正の子・忠広のときに改易。その後に細川忠利が領主となり、明治維新まで続いた。
西南戦争で4,000人が籠城した熊本城は、西郷隆盛率いる14,000人の反乱軍により攻められたが、1人として城内への侵入を許さず、熊本城の難攻不落ぶりが証明された。しかしこのときに一部の建物を残して主要な建物を焼失してしまった。
昭和になってから築城350年を期に大小天守と平櫓、塀などが復元、平成になってからは築城400年を期に本丸御殿、いくつかの櫓、塀などが復元、現在も復元工事中である。
(1) 長塀(重文)
城の南側には、東の平御櫓から西の馬具櫓まで約242mの塀が続いており、現存する城郭の塀の中では最長を誇る。その外側にあるのは天然の堀である坪井川。