2013/06/24

福山城

12-13年冬の18切符分が終わったので、さらに遡って去年の夏の18切符分を。
18切符では基本日帰りばかりだったが、この夏の一発目は18切符を使っての泊まりがけでの四国城攻め旅行。まずは四国上陸前に、対岸の福山城から。
(尾道でやっていた「海フェスタおのみち」でのラバーダックを見るため尾道に寄ったので、児島・坂出ルートでは無く尾道・今治ルートで行った)

福山城は1622年に完成した、新規の築城としては近世城郭で最も新しい城。
関が原の合戦以後にこの地を治めていた福島正則が改易されたあと、西日本に対する抑えとして水野勝成が転封され、福山城を築いた。そのため、この城は10万石ながら5重の天守や三重櫓7基を始めとした20以上を数える櫓を持つ破格の巨城であった。
維新後の廃城令で一部の建物を除いて売却・解体され、その際に残った天守なども空襲で焼失した。

現在は、戦災を免れた伏見櫓、筋鉄御門の2つが現存として残っており、天守、月見櫓、御湯殿が復興再建されている。


①JR福山駅前から見た福山城
駅から外に出てすぐ目の前に高石垣がある。二之丸帯曲輪石垣で、その上に見えるのは月見櫓。






②伏見櫓(重要文化財)
伏見城松の丸の東櫓を移築。伏見城から移築された伝承を持つ櫓は多いが、その中で唯一物証により移築が裏付けられている。


③御湯殿(復興)
本丸南側の二之丸帯曲輪から見た御湯殿。伏見城から移築されたといわれる。空襲により天守などと共に焼失し、昭和41年に再建。詳細な記録のないままに焼失したこともあり復元されたのは座敷部分のみ。各部の意匠は模擬的なものとなっている。


④月見櫓(復興)
二之丸帯曲輪から見た月見櫓。伏見城の櫓を移築したといわれる。空襲により天守などと共に焼失し、昭和41年に再建。古写真とは南側正面にある石落しの有無や窓の配置など大きく異なっている。


⑤筋金御門(重要文化財)
本丸の正門に位置する櫓門。これも伏見城から移築されたという説がある。


⑥鐘櫓(部分再建)
一部現存で、現在の鐘櫓は昭和54年に修理・復興されたもの。


⑦鏡櫓(復興)
廃城令により解体し、昭和48年に再建。建物の形状や窓の配置など往時とは大きく異なっている。


⑧復興天守
空襲により焼失し、昭和41年に鉄筋コンクリートにより再建。ただし史実よりも現代的な美観が優先されたこと等により旧状とかなり異なっている。
第二次世界大戦で焼失したのち復興された天守の中で最も不正確な姿での再建となった。


⑨復興天守から南側の眺望
本丸のすぐ南にJR福山駅がある。


⑩本丸跡東側の門
冠木門のような形状にしているが門跡でも何でもなく、公園の出入り口のために門の無いところに作られている。
この階段をつくるために、下にあった石垣は破壊されたのだろうなあ。



[福山城マップ]


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