2013/06/02

三石城跡

この春の18切符は3回連続滋賀の城攻めだったが、4つ目は西に向かって岡山へ。まずは途中下車しての三石城跡。

三石城は岡山県の東端・兵庫県との県境近くにある、標高291mの天王山山頂に位置する中世の連郭式山城。
この城は太平記の舞台にもなり、九州へ敗走する足利尊氏が家臣の石橋和義に守備を命じ新田義貞の追撃軍を足止めした。
戦国時代になると三石城を居城としていた守護代・浦上氏と備前守護・赤松氏の対立が激化。三石城を包囲していた赤松軍を敗走させて、浦上氏は戦国大名として独立した。その後浦上氏は播磨国境より離れた天神山城を築き、三石城は廃城となった。しかしその後の支配者(織田氏・宇喜多氏)も城番を配置していたようである。

三石城は南北朝時代の城跡ということであまり期待していなかったのだが、かなり遺構が残っていて良い意味で期待を裏切ってくれた。戦国時代初期に廃城となったとあるわりには、石垣はあるし、縄張りも何か新しい感じだし、それ以降も改修されていそう。



①三石城跡遠景
三石城跡のある天王山はJR三石駅の真正面にあり、駅ホームからでもはっきり分かる。最高所に本丸跡があり、そこから右側が急斜面となっていている。斜面の途中で飛び出しているところが恐らく鶯丸で、本丸跡との間に堀切がある。







②第二見張所
山の南側の登城口から登り、すぐに第二見張所に着く。




③第二見張所から南への眺望
正面にJRが見え、ちょうど貨物列車が走っていた。




④分岐
さらに登城道を登って行くと分岐がある。山頂は右側で、左側が第一見張所。




⑤第一見張所
先ほどの分岐を左に曲がって進んだ先に第一見張所がある。




⑥第一見張所より南西への眺望
第二見張所より格段に見晴らしが良くなり、南方向だけでなく西方向も眺望が良くなる。




⑦石垣
分岐まで戻って④の写真の右側「本丸への近道」と案内がある道をすすむ。ここは傾斜がきついが、その先に石垣が見えてくる。
④の写真の分岐を真っ直ぐ進むと、恐らく大手門跡に行くと思われる(実際にこの道は行っていないので未確認)




⑧土塁と曲輪跡
石垣のあったあたりから傾斜が緩やかになり、さらに先にすすむと土塁と曲輪跡がはっきりと分かる。




⑨三の丸跡
その土塁上にある登城道を進むと三の丸跡に出る。




⑩二の丸跡
さらに進むと二の丸跡がある。




⑪本丸跡
山頂部の本丸跡は約500坪あり、当時は居館があった。




⑫本丸跡から南への眺望
本丸跡の周りは木で覆われていてあまり眺望が良くなかったが、ここは木が途切れていた。




⑬馬場跡
三の丸跡まで戻りそこから北側の帯曲輪に降りて西側に少し進むと馬場跡がある。馬の調教をする場所として使用されていた。




⑭井戸跡
馬場跡から東に戻ると井戸跡がある。城跡にある井戸跡は枯れている場合が多いが、ここは現在でも水が溜まっていた。




⑮大手曲輪跡
さらに北東に進むと大手門へ続く大手曲輪跡がある。ここは石垣に囲まれ枡形っぽくなっており、特に時代が違うような感じがする。




⑯大手門跡
大手曲輪への出入り口である大手門で、石垣で囲われている。




⑰大手曲輪石垣
大手門跡から出て大手曲輪を見上げると、やっぱり石垣で囲われている。




⑱堀切
本丸跡の北側は急斜面になっており、さらに堀切がある。写真右側に本丸があり、左側には鴬丸と呼ばれる出丸があるが、時間が迫ってきていたので、そこに行くのは諦めた。




⑲光石城縄張り図
現地にある案内図。もう少し詳しい案内図が欲しいところ。







[三石城跡マップ]



より大きな地図で 三石城跡 を表示


[余湖図](参考)
下図の左下にある三の丸の左の帯曲輪の左から登城した。この図の左外側に見張所等があるが、そこまでは描かれていない。
(※余湖図は「余湖くんのお城のページ」から転載させて貰っています)

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