2013/06/19

上月城跡

英賀城跡の次は、山中鹿之介の最期で有名な上月城跡へ。

上月城は南北朝時代の初期に、赤松氏の一族上月景盛によって築かれた。播磨・美作・備前の三国の国境に位置しており、戦国時代の前から何度も攻防戦が行われた。
秀吉の播磨進出時は赤松政範が入城していたが、秀吉軍に攻められて落城。一度宇喜多勢により落城させられるが、その後秀吉軍が再度奪還し、尼子勢が入城した。しかし荒木村重や播州勢が織田方を寝返ると、毛利軍が3万の大軍で包囲。織田軍も援軍を出すが、毛利勢は力攻めを行わず周辺の山に陣地を構築し守備を固めて両者にらみ合いが続く。ここで信長は播磨平定を優先させ織田軍の援軍は撤退。上月城は捨て石にされた。尼子一族の自刃を条件に開城降伏し、山中鹿之介は毛利本国に護送途中で誅殺された。

毛利軍に3万もの大軍で攻められたにしては小規模な山城だった。この程度の山城に対して、なぜ3万もの大軍を動員したのだろうか。



①上月城跡遠景
上月城のある標高140mの荒神山。






②登城口
荒神山の北東にある登城口から登った。

③尼子勝久追悼碑及び山中鹿之介之碑
②の登城口を登らず真っ直ぐ進むと、すぐ先にある。


④北東登山道から東側の眺望
右側の奥に見える山が高倉山で、秀吉の援軍はこの山を陣地とした。上月城に近い山々は毛利軍が既に陣地にしていたということだろう。


⑤北東登山道中にある堀切
堀切の案内板はあるものの、かなり埋まってしまったようだ。


⑥一郭北東側の城郭跡
一郭跡に行く直前に帯曲輪があった。


⑦一郭跡
荒神山山頂部分にあたる一郭。
写真を撮りながら、のんびり登っても15分程度で一郭跡に到着。


⑧赤松政範之碑
最初に秀吉に攻められた時の城主・赤松政範之碑。一郭跡にある。


⑨二郭跡
一郭の西側にある二郭跡。


⑩二郭跡から北側の眺望
佐用川とJR姫新線の向こうの山に、利神城跡が見える。


⑪三郭跡
二郭の西側にある三郭跡。


⑫三郭南西側の堀切
ここの堀切も結構埋まってしまっている。

⑬上月城跡平面図




[上月城跡マップ]


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