2013/06/23

佐和山城跡

最初の彦根城攻めのとき、その次に石田三成の居城として有名な佐和山城跡も攻めた。

佐和山城は標高232.9mの佐和山に築かれた連郭式山城。
鎌倉時代に近江守護職の佐々木氏が築いた砦がその起源で、戦国時代は浅井氏の支配時は磯野員昌、信長の支配時は丹羽長秀が城主であった。
本能寺の変後は秀吉の支配下になり、秀吉配下の武将が何人か城主になった後に石田三成が入城した。三成は佐和山城の大改修を行って山頂に五重の天守を持つ近世城郭を築き、当時「治部少に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言われるぐらい壮大な規模を誇った。
関ヶ原の戦いで三成が敗北すると東軍が佐和山城を攻撃、三成の父・正継の元でよく守ったが落城。その後、この地に入封した井伊直政は平地に彦根城を築き、佐和山城は廃城となっただけでなく、徹底的に破壊された。

井伊氏のもと徹底的に破壊されたせいか、遺構はかなり寂しい状況だった。ただこの日の登城ルートのせいかも。当時は佐和山の東側が大手口であったが、彦根駅からでは大回りになるのでパスして、裏手となる西側から登城したので。次回は、大手口である東側から攻めてみたい。



①佐和山城跡遠景
JR彦根駅から佐和山城跡のある佐和山を見る。





②龍潭寺入口
佐和山城跡への西側からの登城路は龍潭寺の裏手にある。
しかしこの入口ではなく、一本手前の道から入っても大丈夫で、帰りはそっちから帰った。

③龍潭寺観音堂裏手への道
ここから裏手に入り、佐和山城へ登城する。

④登城路
登城路は整備されていたが一人分の幅しかない路が多かった。下は濡れているし落ち葉も溜まっていたので、下りが滑りそうでヒヤヒヤした。


⑤上段曲輪跡
西の丸後は三段に分かれているが、そのうち一番遺構がはっきりわかる上段曲輪後。

⑥本丸跡
佐和山山頂は平坦になっており本丸が設けられていた。しかし大規模な破城があったと考えられ、天守台や枡形などの遺構はほとんど確認出来ない。

⑦本丸跡から北東方向の眺望
遺構はあまり無いが、本丸跡からの眺望は良い。
右手に伊吹山が綺麗に見える。


⑧本丸跡から南西方向の眺望
伊吹山と反対の南西方向を見ると、井伊直政が築いた彦根城が見え、その向こうに琵琶湖が見える。



⑨佐和山城跡石碑
本丸跡には石碑があるので、伊吹山とのセットで。



[佐和山城跡マップ]


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