2度目の亀山城。前回は多門櫓が工事中だったので、この近くを通った今回、真っ先に見に行った。
(工事完成はこの日の翌々日となっていて、実はまだ工事中だった(^^ゞ)
伊勢亀山城は、伊勢国鈴鹿郡亀山にある梯郭式平山城。源平の時代に伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって築城された。
現在の伊勢亀山城は、豊臣秀吉に従った岡本宗憲が入城後に、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成された。
江戸時代には誤って天守が解体され(丹波亀山城と伊勢亀山城を間違えた)、その後に天守台の上に多聞櫓が築造された。
多門櫓が唯一の見どころと思っていたが、そこ以外にも結構みどころがあった。
初期に見に行った城跡は、事前調査が足らずかなり見落としている。
①多門櫓南東面
多聞櫓は漆喰の白壁にて復活。修復工事前は黒い板壁だったが、江戸時代末期の姿に戻った。
江戸時代に建てられた現存の櫓なのに、何の文化財にも指定されていない。現存櫓で、文化財に指定されていないのは、ここぐらいでは。
②多門櫓北西面
本丸内側から見た多門櫓。綺麗すぎて、現存じゃなく再建したみたい。
③二の丸帯曲輪埋門
二の丸北側に帯曲輪が復元されており、これは二の丸と帯曲輪との間にある埋前。前回行った時は二の丸帯曲輪一帯を見落としていた。
④二の丸土居と石積
二の丸帯曲輪から見た二の丸土居と石積
⑤二の丸帯曲輪土居
⑥外濠と二の丸跡・本丸跡
前回はただの池だと思って見過ごしてしまったが、亀山城の北側の外濠。左側が二の丸跡(亀山西小学校)で、真ん中から右側の木が茂っているところが本丸跡(亀山公園)。
⑦大手門跡
現在の江ヶ室交差点の角あたりに大手門があった。(写真正面の家の前に案内板が見える)
明治初期に石垣に至るまで破却されたので、往時の面影は全く無い。
⑧伊勢亀山城平面図
遺構として残っているのは本丸南東部の多門櫓と天守台石垣、本丸北側の外濠、二の丸南側の外濠ぐらい。
東三の丸は東丸町、西の丸は西丸町と、その名前が残っている。
[亀山城(2012)マップ]
より大きな地図で 亀山城(2012) を表示
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