2013/06/29

宇和島城

昨夏の18切符を利用しての四国城攻め旅行の2日目、大洲城の次は宇和島城へ。

宇和島城は標高77mの城山に築かれた平山城。
鎌倉時代にこの地を勢力化に置いた西園寺氏が築いた丸串城が始まり。戦国時代には大友氏や長宗我部氏等の攻撃を凌いだが、秀吉に降伏。豊臣時代に入城した藤堂高虎が大改修して現在の縄張りを築いた(天主などの建物は、江戸時代になってこの地に入封した伊達氏によるもの)。外郭は五角形で、そのうち二辺が海に面し、残り三辺は海から接続する堀によって囲まれる海城であった。
維新後に大半の建物が撤去。三辺の堀だけでなく、残る二辺の海岸も埋め立てられ海城の面影は無くなった。天守以外で残っいた追手門も空襲により焼失して、現在は天守と上り立ち門、石垣が現存する。

ちょうど宇和島城保存整備工事中ということで、あちこちでブルーシートを見かけ、通行できない場所も色々あった。本丸と現存天守が無事だっただけで良しとすべきだが、辺鄙な場所でそうそう行けないだけに、残念だった。



①桑折氏武家長屋門
藩の家老・桑折(こおり)氏の長屋門として使用されていたが、道路拡張時に撤去されここに移転。当時は間口が35mと実に立派なものであったが、移転場所がせまいため向かって左方の大部分が切り取られて間口15mほどと半分行かになってしまった。




②北側登り口
桑折氏武家長屋門から入ってすぐ、宇和島城への登り口に石垣と石段がある。


③長門丸北西角櫓台石垣
北側登り口から南に行く大手道は井戸丸跡が保存工事中で通行できなかったので、城の北側を回りこむように西に進んだ先には長門丸があり、その西隅櫓の石垣。


④長門丸跡から見た北西角櫓跡


⑤藤兵衛丸石垣
長門丸跡の南にある藤兵衛丸跡。


⑥雷門跡
藤兵衛丸跡南西隅近くにある門跡。藤兵衛丸への入り口であり、さらに二の丸・本丸へと続く入り口でもある。
ただし、藤兵衛丸より先は工事中で通行止めだったので、この先には進まず。

⑦二の丸への暫定階段
井戸丸跡だけでなく井戸丸跡から二の丸跡へ行くコースも通行禁止のため、そこに合流する藤兵衛丸跡から二の丸跡へのコースも一緒に通行禁止となっていた。そのため、雷門跡近くから二の丸跡へ行く暫定階段が組み立てられていた。


⑧二の丸から見た天守
ここから下へ行く道が通行禁止だった。通常なら桑折氏武家長屋門から井戸丸跡経由で来たり、藤兵衛丸跡から来ると、ここから上がってくる。
今回の工事で、本丸への唯一の出入り口を防ぐと、本丸へ侵入できないことを再認識したw

⑨一ノ門跡
二の丸から本丸への門


⑩現存天守(重要文化財)
1662~71年に伊達宗利によって現在の独立式層塔型3重3階に建て替えられた。


⑪天守内部(重要文化財)


⑫天守から北西側の眺望
宇和島港が見える。かつては城に隣接していた海岸が埋め立てられて遠くなった。

⑬代右衛門丸北西隅櫓台石垣
藤兵衛丸跡の西側まで戻り、そこから南の搦手口へ降りていく。その途中に、立派な櫓台が見えてくる。本丸西側にある代右衛門丸の北西隅櫓台である。


⑭代右衛門丸南西隅櫓台石垣
正面奥に見えるのが代右衛門丸南西隅櫓台。その右手(南側)にあるのが式部丸跡で、本来ならそこを経由して代右衛門丸跡へ行けるはず。しかし、ブルーシートから分かるように、ここも工事中のため、この道も通行禁止だった。


⑮式部丸石垣
代右衛門丸の南側にある式部丸の石垣。さらに南に行って、後ろを振り返った。

⑯上り立ち門
宇和島城の現存建造物は天守以外ではこの上り立ち門のみ。創建は藤堂修築期まで遡る現存最古クラスの可能性もある。

⑰宇和島城遠景
宇和島城の東側から見る。かつて追手門があったのはこの近くなので、追手門から入って見上げたときには、宇和島城がこんな感じに見える。


⑱宇和島城案内図
城の外側の国道56号は堀のあった場所の内側をほぼ平行に走っているので、そこから外郭の形が想像できる。
文中にも書いたように井戸丸跡周辺が工事中のため、桑折氏武家長屋門から二の丸へ行く通路が通行禁止で、北側を回りこんで長門丸跡へ。藤兵衛丸跡から二の丸東側の曲輪に行く通路も通行禁止だったので、組み立て式の暫定階段で直接二の丸へ。本丸・天守を見た後は藤兵衛丸跡から南側の搦手方面に降りていった。


[宇和島城マップ]


より大きな地図で 宇和島城 を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿