松山に一泊してから翌朝に松山城本壇に入ったが、その開城時間までの間に、近くの湯築城跡にも行ってきた。
湯築城は南北朝時代に伊予国守護河野氏によって築城された梯郭式平山城。戦国時代に入り長宗我部元親が台頭してくると、その圧力に抗しきれず降伏。さらに豊臣秀吉の四国平定に際して小早川隆景軍に湯築城を開城、秀吉の四国平定後に廃城となった。現在は道後公園として整備されている。
正直、この程度の城跡が何故日本100名城に選ばれたのか不思議でならない。
かなり整備されているとは言えるが、規模は小さい上に復元されたものばかりで当時の遺構はあまり無いし、この城が歴史的に重要な役割を果たしたわけでも無いし、愛媛県は他にも日本100名城に選ばれた城が多く(5個指定は最も多い県)、都道府県のバランスを考慮されたわけでも無い。本当に謎だ。
①西口
市電の道後公園駅すぐそばが西口となる。当時は搦手門があった。
②武家屋敷1
西口から内堀の周りを反時計周りにすすむと、復元された武家屋敷がある。
③内堀と内堀土塁
現存するのは内堀ぐらいで、内堀土塁も復元されたもの?
④遮蔽土塁
大手からの侵入者に対し視界を遮らせる目的で築かれた土塁。
⑤本壇
本壇には何故か展望台があった。ここからの眺望を楽しむために必要というなら、せめて櫓風の建物にしてくれ。コンクリートむき出しの展望台は無粋すぎにも程がある。
⑥展望台から西側の眺望
右側に見えるのが松山城のある勝山。写真ではわかりにくいが天守等の建造物も見える。
⑦河野館跡
本壇から北側に降りた先にある。
⑧石造湯釜
さらに北側に降りた先にある。
この湯釜は道後温泉の湧出口に設置するもので、 奈良時代に作られ明治まで使用されていた。
案内板には「重要文化財」とあるが、愛媛県指定の有形文化財。
⑨湯築城跡案内図
[湯築城跡マップ]
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