2013/06/21

彦根城

12-13年冬の18切符のラストは現存12天守の一つ、彦根城へ。
この彦根城も二度目なので、まずは2011年に行った一度目の城攻めを投稿。

彦根城は、井伊氏が金亀山に築城した連郭式平山城。
関ヶ原の戦いの後、石田三成の近江北東部18万石を与えられた徳川四天王の一人・井伊直政は、石田三成の居城である佐和山城は山城では不便なのと三成の威光を払拭するために新たに平地に城を築いた。直政は関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、ほどなく死去したが、その子・直継が引き続いで築城した。この時、コスト削減と工期短縮のために多くの建物や石材が他の城から移築転用された。
彦根城は井伊氏の居城のまま維新まで続き(幕末の井伊直弼はこの15代城主)、維新後の廃城令では彦根城も破却の運命であったが、明治天皇が巡幸で彦根を通過した際に城の保存を命じたため破却は逃れたという。

太平洋戦争でも空襲を免れ、天守・附櫓および多聞櫓が国宝に指定されているほか、櫓・門など5棟が現存して国の重要文化財に指定されている。また現在、世界遺産登録へ向けて動いている。(ただし暫定リストに登録されたまま、20年以上登録は見送られている。)


①中堀越しに見る彦根城
JR彦根駅から彦根城へ向かうと、佐和口から彦根城に入城することになる。
正面に二の丸佐和口多聞櫓とその向こうに天守が見える。
現在では佐和口が正面口のようになっているが、往時の彦根城は大坂城に対する徳川最前線となるため、南西側の大手口が文字通り正面口であった。







②二の丸佐和口多聞櫓(重要文化財)
佐和口の左側にあるのが現存の多門櫓で、重要文化財指定。




③開国記念館と中堀
佐和口の右側にあるのは多聞櫓を再現した開国記念館。井伊直弼没後100年を記念して造られた。


④内堀の白鳥と黒鳥
開国記念館の前の内堀では白鳥と黒鳥がお出迎え。

⑤馬屋(重要文化財)
佐和口から彦根城内に入った先にある馬屋。これも現存で重要文化財指定。
城郭内構えられた馬屋としては唯一の現存例。


⑥表門橋
馬屋の向かいにある表門橋で内堀を渡り表門跡に行く。


⑦天秤櫓(重要文化財)
表門跡から登った先にある現存の櫓で、重要文化財指定。
長浜城から移築したものと伝えられている。


⑧太鼓門及び続櫓(いずれも重要文化財)
天秤櫓を抜けた先にある現存の櫓で、重要文化財指定。

⑨南側から見た天守(国宝)
太鼓門から中に入ると本丸になり、その本丸から見た天守。
大津城の天守が移築されたと言われる。
ここから見ると、木の枝が邪魔すぎ。


⑩天守の内部にある階段
天守への入り口は多聞櫓にあり、そこから附櫓を通って天守に入る。この時代の階段はどこもそうだが、この階段も非常に角度がきつく、降りる時ちょっと怖い。


⑪天守最上階内部


⑫天守最上階からの北東側眺望
伊吹山が見える。窓にはプラスチックのようなものがはめ込んであって、それが綺麗では無いので、ちょっと眠たい写真に。


⑬西の丸三重櫓及び続櫓(重要文化財)
本丸から北西方向にある西の丸に行き、その北端にある櫓。小谷城から移築したものと伝えられている。


⑭山崎門
西の丸からさらに北へ進む。彦根城の一番北にある門。この門は閉められたまま開かないし、この門の先にあるはずの橋も現在は無い。


⑮北側から見た天守・附櫓および多聞櫓(国宝)
再び西の丸に上がってきて、そこから黒門方面に降りる。その途中から見た天守。現存の天守で、附櫓および多門櫓とともに国宝に指定されている。
この角度から見る天守が一番良いが、午前中は逆光となる。


⑯黒門山道と西の丸石垣
黒門跡へ降りる途中で、天守方向に振り返る。

⑰黒門跡と黒門橋
黒門橋の部分の堀は埋められて土橋のようになっているが、当時は内堀に橋が架かっていた。


⑱御城内御絵図



[彦根城マップ]


より大きな地図で 彦根城 を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿