12-13年冬の18切符の2つ目は、東へ向かっての伊勢の城攻め。
最初に行ったのは亀山城だが、これは後回しにして神戸城跡から投稿。神戸と言っても兵庫県ではなく、鈴鹿の近くにある神戸城。読み方も「こうべ」では無く「かんべ」。
神戸城は、伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏が戦国時代にこの地に移って築いた。その後、信長軍の侵攻に耐えきれず信長の三男・信孝を養子に迎えて和睦。その信孝は、ここに五重の天守を築くが、本能寺の変後に岐阜に移る。秀吉の天下になった後に天守は桑名城に三重櫓として移され、江戸時代を通じて天守が建てられることは無かった。
維新後は解体されて、堀は埋められ城跡は神戸高校の敷地となった。
①南東側から見る天守台
こちら側は本丸跡で、そこから見た天守台。北東に小天守と南西に付櫓がある複合式の天守であったらしい。
写真右(北東)に天守台に登る石段があるので、入り口は小天守にあった?
②天守台虎口
天守台北東側にある石段を登って天守台より一段低い場所から天守台を見る。ここに小天守があった?
③天守跡
天守台の上。石碑と休憩所のベンチがある。
④本丸跡
天守台の上から本丸跡を見る。左上の方に校舎が少し見えるが、ここは二の丸跡で現在は神戸高校。
⑤北西側から見る天守台
裏側から見た天守台。左側が小天守台?
⑥本丸西側内堀
維新後に堀は埋められたとのことだから、この堀は遺構では無く、公園整備時に復元されたものと思われる。
⑦太鼓櫓
蓮花寺の鐘楼として移築された二の丸太鼓櫓。
⑧平面図
本丸跡を残して、東側は神戸高校の敷地をなっている。
[神戸城跡マップ]
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