二度目の和歌山城の時についでに行った太田城跡。
太田衆も小牧・長久手の戦いで徳川家康に味方したため、その後の秀吉の紀州攻めで落城した。この時、備中高松城のときと同様に周囲に堤防を築いての水攻めにより開城した。
現在は和歌山駅すぐ近くのため市街地の波に飲まれ、遺構は全く残っていない。一見、ただの平地で大軍を持って力押しすればすぐ落ちそうな感じなのだが、ここも備中高松城のように沼地だったのだろうか。
①太田城跡石碑
来迎寺にある石碑。このあたりが太田城の本丸跡だと伝えられる。
②来迎寺入り口
石碑はこの奥にあるが、一見、勝手に入っていいものなのか躊躇してしまう(^^ゞ
③移築城門
大立寺の山門は、この太田城の城門だと言われている。
[太田城跡マップ]
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