根来寺へ行ったついでに和歌山城にも行ってきた。このときの和歌山城は三度目の城攻めなので、まずは2009年に行った一度目のを投稿。
和歌山城は標高48.9mの虎伏山に建造された梯郭式平山城。虎伏山というのは、この山を海上から見ると猛虎が伏している姿に似ていることから名付けられ、そのため、この城も虎伏城と呼ばれることもある。
天守曲輪には大天守・小天守・乾櫓・二の門櫓・楠門が渡櫓によって連結された連立式天守があり、姫路城・松山城とともに日本三大連立式平山城に数えられる。
江戸時代に落雷により大小天守など本丸の主要建造物が全焼したが、御三家という家格により特別に再建された(当時は天守再建は禁止されていた)。維新後に多くの建造物が解体や移築された中で、天守は残されていたが空襲で消失。現在の建物のほとんどは戦後に再建されたもの。
このときは城攻めを始めたばかりということで、かなり見落としがある。そのため、2012年に二度目の城攻めを行ったが、それは別投稿で。
①和歌山城遠景
城の北東の交差点にある歩道橋から見た和歌山城。
②追廻門
高麗門形式で門外扇の芝に操練所があり騎射の稽古のための追廻し馬場があったことから追廻門と呼ばれる。
1629年創建という現存の遺構だが、何故か重要文化財には指定されず。
③新裏坂登り口近くの石垣
和歌山城への登り口は3箇所あり、そのうちの一つ南西からの登り口・新裏坂登り口の手前にある石垣。
④楠門と二の門櫓(いずれも復元)
連立式天守の唯一の入り口となる楠門。この門を閉じると要塞化することから、かなりの規模の門となっている。
戦後に復元された天守曲輪の中で、この楠門だけが木造での復元。
⑤乾櫓(復元)
天守曲輪北西部にある櫓。
⑥大天守と小天守(いずれも復元)
天守は大天守と小天守が連結式に建てられている。
中に入るとガッカリするが、外観は忠実に再現された外観復元天守。
⑦大天守から西側の眺望
復元された二の門櫓と乾櫓の向こうに紀の川の河口が見える。
⑧埋込門(復元)
非常用に作られた脱出用の隠し門。天守曲輪の北側(小天守と乾櫓との渡り櫓の下)にある。
⑨本丸跡
給水場となっており立入禁止だった
⑩表坂登り口
和歌山城への登り口の一つで、これが大手口。虎伏山の東側から登る。
⑪松の丸櫓台の高石垣
虎伏山の南東部には立派な高石垣があり、かつて松の丸櫓があった(?)
徳川頼宣はこの櫓台から紀州富士(龍門山)を眺め、故郷の駿河国を偲んだといわれている。
⑫岡口門(重要文化財)
和歌山城の南東にある門。
浅野時代は大手門であったが、浅野時代の後期に大手門から搦手門として修復された。徳川頼宣が行った城の大改修の際に再建された櫓門が現存している。現在の門櫓は切妻屋根であるが当初は、門櫓の両側に続櫓があった。
⑬大手門と一の橋(いずれも復元)
和歌山城の北東にある門。
浅野時代の後期からは、こちらが大手門となった。(その割りには、搦め手門である岡口門の方がかなり立派だけどw)
⑭和歌山城案内図
[和歌山城マップ]
より大きな地図で 和歌山城 (2009) を表示
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