2013/06/04

岡山城 (2013)

この春の18切符で行った二度目の岡山城。前回は、せっかく岡山まで来たのだからと欲張り過ぎてスケジュールがきつく、本丸本段・中の段ぐらいしか見ていなかった。なので今回は、前回見れなかった本丸下の段を中心に回った。
岡山城は豊臣時代は宇喜多秀家、江戸時代に入り小早川秀秋、その後に池田忠雄が入封して拡張したため、それぞれの時代により石垣の積み方が異なっている。これらの石垣を中心に見るのも面白い。



①復元天守と天守台石垣
天守台の石垣は宇喜多秀家が築いたもの。あまり加工していない自然石を積んでいる。石垣の勾配が緩やかで、隅が鈍角である。





②本丸本段南東の高石垣
ここも宇喜多時代の石垣。


③大納戸櫓跡の石垣
大納戸櫓跡は本丸中の段・南西隅にあり、ここは小早川時代の石垣。宇喜多期と同じく自然石を積んでいるが、隅が直角になっており勾配もきつくなっている。


④月見櫓(重文)と石垣
現存で重要文化財である月見櫓は本丸中の段・北西隅にあり、ここは池田期の石垣。加工整形した石を使い、隅部は完成した算木積みで、かなりきつい勾配となっている。


⑤本丸中の段・西側の石垣
手前の池田期の石垣と、奥の小早川期の石垣の違いが一目瞭然。


⑥六十一雁木上門
旭川に臨む「水の手」から本段へ直に登った先にある門。階段の下には本格的な櫓門があったが、上門だけ復元された。


⑦鉄門跡
本丸下の段から中の段へ通じる櫓門があった。木部の全体を鉄板で覆ったいかめしい門だった。


⑧内堀と目安橋
本丸下の段の南側から見た内堀と下の段に通じる目安橋。


⑨石山門跡
石山門は西の丸の石垣と南側の方形の石垣の上に渡り櫓を構えた櫓門だったが、岡山大空襲で消失した。


⑩西丸西手櫓(重文)
西の丸の西端を守る隅櫓で、1603年頃に建築された現存の建物。しかし私有地の敷地内にあり外側からしか見れなかった。ネットで探すと内側から撮った写真が簡単に見つかるのだが、どうやって中に入ったのだろう。


⑪復元天守と月見橋
岡山城と北にある後楽園とを結ぶ月見橋の下から見た復元天守。


⑫後楽園からみた復元天守


⑬岡山城案内図



[岡山城(2013)マップ]


より大きな地図で 岡山城(2013) を表示

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