2013/06/03

岡山城 (2011)

三石城跡の次は岡山城へ。しかし岡山城も2度目なので、まずは1度目の方を先に投稿。

岡山城は戦国時代の梟雄・宇喜多直家が築城した石山城が始まり。その子秀家は豊臣秀吉の猶子となり、備前・美作に備中の一部を加えた57万石の大名として、岡山城を築いた。このとき、石山の東「岡山」に本丸を移し、城郭を拡張整備した。
宇喜多秀家が関ヶ原で敗退すると、小早川秀秋が岡山城に入城。その秀秋が若死すると姫路城主だった池田氏が入城、明治維新まで続いた。



①西側から見た復元天守
岡山駅から真っ直ぐ東に進むとまず見えてくる岡山城の姿。岡山城天守は幅に比べて奥行きが狭いため、西側から見るとのっぽに見える。
岡山城の北と東には旭川が流れており、それを内堀として利用している。






②廊下門
天守のある本段から本丸中の段に渡した長廊下の下手に設けられた門。
空襲で焼失して、鉄筋コンクリートで再建。


③本丸中の段
廊下門から本丸中の段に入る。本丸西側の中の段には当時表書院があり、そこには大小60を超える部屋があり岡山藩の政治が行われていた。


④秀家時代の石垣
本丸中の段から発掘された秀家時代の石垣。江戸時代に入り、中の段を北側に拡張する際に埋められた。


⑤月見櫓(重要文化財)
中の段の北西隅にある隅櫓で、第4代城主・池田忠雄が建てた。戦火を免れて創建時の姿を残している。


⑥本丸本段石垣
本丸中の段から見た本丸本段石垣


⑦不明門
本丸中の段南端から本段への入口に設けられた渡櫓門。平素は北端の渡り廊下を使用してこの門は閉ざされていることから、不明門(あかずのもん)と呼ばれた。
明治の廃城後に取り壊されたが、昭和になってから鉄筋コンクリートで再建。



⑧外観復元天守
本丸本段北側にある、宇喜多秀家が安土城を模して築いたと言われる天守。2階建ての建物を大中小の3つに重ねた3層6階の構造で、外壁の下見板が黒塗りであったことから「烏城」¥(うじょう)」の別名がある。しかし残念ながら空襲で焼失。戦後に当時の姿に忠実に復元。


⑨御城内御絵図
江戸時代の本丸


⑩天守から北側の眺望
北側にある後楽園を見る。


⑪天守から西側の眺望
西側にある岡山市街を見る。





[岡山城マップ(2011)]


より大きな地図で 岡山城 (2011) を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿