長光寺城は標高234m、比高135mの瓶割山の山頂に築かれた山城。鎌倉時代に佐々木政尭によって築かれたと伝えられる。織田信長が南近江に侵攻した時に、柴田勝家が古城を修復して入る。その後、六角義賢に攻め寄せられ水源を絶たれた柴田勝家が、残された水瓶をこ叩き割って味方を鼓舞し敵陣に討ち入って勝利を得たという伝承から、瓶割城とも呼ばれる。信長が安土城を築いた頃には廃城となったようだ。
①長光寺城跡遠景
長光寺城跡のある瓶割山を北側から見る。
②登城口の大岩
長光寺跡には北側の登城口から登る。登城口には、かなりデカイ大岩がお出迎え。
③岩と石垣
瓶割山北側の尾根線の登城路から登ったが、この一帯は岩が多く、その岩を組み合わせる形で石垣を組んでいた。
④土橋
三の郭の手前にある。
⑤三の郭跡
一の郭の手前にある郭。焼米が出土しており、米蔵が設けられていたものと推測される。
⑥竪堀跡
三の郭跡から尾根線に沿って南に進んでいくと、「竪堀」の看板があった。しかし、かなり埋まってしまったのか、その面影はあまり無かった。
⑦一の郭付近から北東側の眺望
もうすぐ一の郭跡というところで見晴らしが良くなり、そこから北東側の眺望。
正面の山が観音寺城があった繖山で、その左側の小さな山が安土城のあった安土山。
⑧一の郭跡
山頂付近にある郭。東西50~60m、南北30mほどと結構な広さがある。
⑨一の郭跡から北西側の眺望
正面に近江八幡城跡のある八幡山と、琵琶湖が見える。
⑩一の郭西側にある石垣
長光寺城跡で最大の石垣らしいが、草に埋もれて分かりにくい。
⑪一の郭と二の郭とを結ぶ土橋
一の郭跡の南側には土橋があり、二の郭跡と繋がっている。
⑫二の郭跡
一の郭跡の南側にある郭。
⑬二の郭南側の石垣
こちらの石垣の方が分かりやすい。
⑭一の郭東側の曲輪
一の郭跡に戻り、その東側にも曲輪がありそうなので東に行ってみると、石が無造作に転がっている。
破城のあとなのか、この石が何のために集められたのか不明。
⑮NHKのアンテナ
北の尾根線を通って同じコースを帰るのも芸が無いので、東の尾根線から降りようと進んでいくと山城跡の天敵・NHKのアンテナが。曲輪跡は山の高いところに、一定面積の平面があるので、遺構の上にアンテナが建っていることが多い。
まあ、この城跡に関して言えば、頂上付近の一の郭跡や二の郭跡で無くて良かったとも言えるが。
⑯道路から北側の眺望
NHKの施設からは車道が東に通っていてあとはこの道を降りるだけと思っていたら、この道路が途中で大きく右折。どんどん南に行く。最寄り駅(武佐駅)は北なのに、そこから離れていく一方。
とは言え、ここまで降りたのにここでUターンして、また山頂を目指すというのも無理。仕方なしに進んでいくと、さらなるオチが…
⑰行き止まり
山の麓まで来たら、まさかの行き止まり。この道路も私有地ということで関係者立入禁止だった。だったら、山頂側から来る場合も入れないようにしてくれ。
ここからUターンして、また山頂に向かう体力も気力も無いので、柵を越えて強行突破。立ち入るためでは無く、出るためだからご容赦を。
⑱長光寺城跡遺構配置図
一の郭跡にあった案内板から。これを見て、東側にも曲輪があってそっちから東に降りられそうと思ったのが、そもそも間違いだった(^^ゞ
[長光寺城跡跡]
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