2014/02/26

天神の丸跡

この冬の18切符で2度目の備中松山城に行き、そのとき備中松山城の水の手門跡から裏側に抜けて、天神の丸跡へ。

天神の丸は標高約480mの臥牛山最高峰天神の丸の山頂に築かれた山城で、天正の頃に備中松山城の城主・三村氏と毛利氏との間で起こった備中兵乱で、最初に陥落したところと言われている。


①番所跡
堀切を渡ってすぐのところには番所があった。



2014/02/15

富田茶臼山城跡

富田松山城跡の片上湾を挟んだ向かい側にある富田茶臼山城跡。
富田茶臼山城の出城として機能していたらしいが詳細は不明。現在は茶臼山公園となっており、遺構は全く残っていない。



①富田茶臼山城の碑
茶臼山公園の入口にある碑。



2014/02/08

富田松山城跡

この冬の18切符2つ目は、備前の富田松山城跡へ。
富田松山城は片上港の東に聳える標高209mの山頂に築かれた山城。

富田松山城は戦国時代に播州と備前東南部を扼する浦上氏の本城・三石城の支城で、当主・浦上政宗の後見役である浦上国秀が築城。備中の松田氏に対して西方面を固める城砦として築かれた。備前に宇喜多直家が台頭してくると、本城である三石城が落城し、ほぼ同時期に富田松山城も落城。その後廃城となったと思われる。



(1) 道中から見る遠景
JR赤穂線の備前片岡駅で下車。そこから南へ歩いてすぐのところから富田松山城跡を見る。



2014/02/01

千丈寺砦跡

黒井城跡の西側の尾根線上に築かれた曲輪跡を通って、その先端の千丈寺山に築かれた千丈寺砦跡へ。
千丈寺砦は、黒井城を中心として三方の尾根線上に築かれた出城の一つ。ついでに他の砦跡にも行く予定だったが、黒井城跡から千丈寺砦跡へ行く尾根線が予想以上にアップダウンが激しく、ここで限界だった。



①千丈寺砦跡東側の坂
千丈寺砦は標高346mの千丈寺山は山頂にあり、その最後の坂はかなり急斜面。登城路らしきものも見当たらず、緩やかそうなところを見付け、さらに樹の幹を支えにして登った。