この冬の18切符で2度目の備中松山城に行き、そのとき備中松山城の水の手門跡から裏側に抜けて、天神の丸跡へ。
天神の丸は標高約480mの臥牛山最高峰天神の丸の山頂に築かれた山城で、天正の頃に備中松山城の城主・三村氏と毛利氏との間で起こった備中兵乱で、最初に陥落したところと言われている。
①番所跡
堀切を渡ってすぐのところには番所があった。
②石垣
堀切から上り坂を進むと左手に多段に築かれた石垣が見える
③曲輪跡?
上り坂を登ると、右手にかなり平坦な地があった。ここにも何らかの曲輪があった?
④せいろうが壇跡
そのまま登城路を北に進むと左手(西側)に何段にも重なる曲輪跡がある。そのうちの一つであるせいろうが壇跡
⑤堀切
せいろうが壇跡の北側には出丸跡があるが、こちら側からは登れず。そのため、その北側にある堀切を左折する。
⑥出丸跡
堀切に沿って西側に行き、そこから堀切の南側にある出丸跡へ登る。
この堀切の西側から北へ進むと、大松山城跡へ行く。
⑦本丸虎口へ向かう道
堀切に沿って東側に戻り、登城路を北上するとまさかの通行止め。
⑧本丸斜面
ここまで来て天神の丸をスルーするわけにはいかないので、本丸の斜面で登れそうなところを探し、そこから本丸へ。
⑨本丸跡
堀切の北側にある曲輪が本丸。
⑩天神社跡
本丸跡北側には「天神社」という神社があった。この神社は慶長年間の絵図には描かれており、江戸時代になる前に天神の丸は廃城となっていたと思われる。
⑪天神の丸跡案内図
案内図の左下は備中松山城へ続き、右上は大松山城へ続く。
[天神の丸跡マップ]
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