富田松山城は片上港の東に聳える標高209mの山頂に築かれた山城。
富田松山城は戦国時代に播州と備前東南部を扼する浦上氏の本城・三石城の支城で、当主・浦上政宗の後見役である浦上国秀が築城。備中の松田氏に対して西方面を固める城砦として築かれた。備前に宇喜多直家が台頭してくると、本城である三石城が落城し、ほぼ同時期に富田松山城も落城。その後廃城となったと思われる。
(1) 道中から見る遠景
JR赤穂線の備前片岡駅で下車。そこから南へ歩いてすぐのところから富田松山城跡を見る。
(2) 登城口
備前片岡駅から南へほぼ一直線歩いた先に富田松山城の案内がある。
(3) 登城路
かなりマイナーな城だと思っていたが、登城路は整備されている。
(4) 東出丸跡
本丸の東側にある標高196.6mの峰には東出丸があった。
(5) 東出丸跡から見た片上湾
富田松山城は海沿いの山城なので、眺めがすごく良い。
(6) 東出丸跡付近から見た本丸跡
本丸に向かうため東出丸の西側から降りてすぐから本丸跡を見る。
(7) 堀切
主郭のある山腹東側にある堀切。岩石を削って堀切を作っている。
(8) 搦手道
山腹の南東側を沿って主郭に向かう登城路。搦手道とあるが、この道が搦手なら、大手道はどこだろう。
(9) 入口裏門への分岐点
搦手道を進むと、入口裏門の案内がある分岐点へ。ここを右折して入口裏門へ進む。
(10) 三の丸跡
入口裏門へ向かう通路の右手にある三の丸跡。本丸跡の東側一段下がった場所にある。
(11) 三の丸跡東側の曲輪
三の丸跡の東側にも曲輪があり、その先端な土塁となっている。
(12) 本丸虎口
入口裏門へ向かう通路へ戻り、先へ進んで本丸へ向かう。
(13) 本丸跡
山頂にある本丸跡。かなりの広さがある。
(14) 立て札
本丸跡にある富田松山城の立て札。
(15) 本丸跡から見た東出丸跡
本丸跡から東側にある峰の東出丸跡を見る。
(16) 本丸跡から南西の眺望
城の西側にある片上港が見える。この港は当時から栄えていた。
(17) 本丸西側虎口付近の土塁
本丸跡の周りは土塁で囲われている。これは本丸西側虎口付近の土塁で、土塁の右側に見えるのが二の丸跡。
(18) 二の丸跡
本丸跡の西側一段下がったところにある曲輪が二の丸跡。本丸跡の西側は曲輪が何段にも重なっている。
(19) 二の丸跡西側の曲輪
二の丸跡の西側一段下がったところにある曲輪跡。案内版にも特に名前が記載されていない。
(20) 大手曲輪跡
二の丸跡から二段下にある曲輪跡。左側の先を進むと山腹の南側に沿って、(9)の分岐点に出る。右側を進むと山腹の北側に沿って(11)の三の丸跡東側の曲輪に出る。
(21) 大手腰曲輪跡
大手曲輪の西側一段下にある曲輪跡。
西側にある曲輪が大手と呼ばれて、東側が搦手道ということは、西側が大手道なのか。しかし西側には海があり、こちら側が大手道とは思えないのだが。
(22) 井戸跡
大手腰曲輪には井戸跡があった。
(23) 大手腰曲輪の南西にある曲輪
大手腰曲輪の南西側さらに一段下がったところにも曲輪跡がある。
(24) 犬走り
大手腰曲輪から西側へさらに降りると、犬走り(と呼ぶには結構道幅が広いが)がある。ここからさらに西側へ下りる通路は見当たらず、やはり西側が大手道とは思えない。
この犬走りを先に進むと山腹の北に沿って、大手曲輪と三の丸跡を結ぶ通路に出る。
(25) 雨乞い跡地
本丸跡・東出丸跡を経由して元の道を戻り、東出丸跡を少し進んだところで、登城路(北側)とは別の道(東側)を進む。
東出丸のさらに東側にある峰には 雨乞い跡があり、ここで竜主に向かって千把焚で祈願したと言う。
(26) 東側のルート
雨乞い跡地の東側から下山するが、こちらのルートはあまり整備されていない
(27) 富田松山城跡遠景
JR西方上駅南側から富田松山城跡を見る。
(28) 富田松山城縄張略測図
(2)の登城口にある案内板にある縄張り図
[富田松山城跡マップ]
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