2013/12/07

赤穂城


龍野城の次は忠臣蔵で有名な赤穂城へ。

赤穂城は、戦国時代初期に岡光広が築城した加里屋城が始まり。その後、関ヶ原の功績で姫路藩主になった池田輝政の弟・長政が改修して大鷹城を築城。そして安芸広島浅野家の別家・浅野長直が5万3千石で入封後に、現在の縄張りとなる城を築いた。本丸と二の丸が輪郭式で三の丸が梯郭式の変形輪郭式の平城で、浅野氏に仕えた甲州流兵学者の近藤正純による縄張り。しかし赤穂城は5万3千石にしては分不相応な規模の城で、そのために財政難に陥った。

維新後は廃城となり、城内の建物は破却され石垣と堀のみが残る。その後、昭和中期から平成にかけて櫓・門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二の丸庭園の再建が進められている。

※最初に訪れた時は年末年始休みで本丸内に入れなかったので、2013年に再訪。その時の写真も追加。


三之丸
まずは北側にあり、大手側となる三之丸跡から。


(1) 大手門と三之丸隅櫓(いずれも復元)
現在も播州赤穂駅から歩いて行ったときの入口となるが、当時も城下からの正面玄関となっていた。隅櫓は大手門を監視する防御の要であった。





(2) 大手枡形虎口
大手門は高麗門と櫓門の2門からなる枡形虎口であった。そのうち高麗門は復元されたが、櫓門は無くなったまま。
個人的には、本丸より、こっちの櫓門の復元が先じゃ無いかなと思う。


(3) 番所跡
大手枡形虎口から城内に入ったところに番所があった。今は案内所となっている。

(4) 大手桝形石垣(復元)
大手枡形を形成する石垣であるが、明治時代には櫓門部分は塞がれ、南側が削られていた。現在は本来の枡形になるように石垣が復元されている。


(5) 近藤源八宅跡長屋門
大手門から城内に入り、南に進むと近藤源八宅跡長屋門がある。
近藤源八正憲は甲州流軍学者で、赤穂城の縄張りを行った近藤正純の息子。大石家とは縁戚関係にあったが、義盟には加わらなかった。



(6) 大石邸長屋門
近藤源八宅跡長屋門の斜め向かいにある大石邸長屋門
忠臣蔵で有名な、浅野家筆頭家老・大石内蔵助が住んでいた屋敷の正面長屋。
城内に残された江戸期の建物は近藤源八正宅跡長屋門とこの大石良雄宅跡長屋門のみ。


(7) 塩屋門跡
三之丸の北西側の出入口である塩屋門跡。忠臣蔵では、藩主切腹・お家断絶を知らせる第二報の早駕籠はここから入城した。
現在は三の丸跡内にある大石神社への車道となっているが、枡形構造及び石垣が残っている。


(8) 三之丸石垣と外堀
三之丸北側の石垣。


(9) 三之丸東隅櫓台
三之丸の東北の隅にある櫓台。

(10) 清水門跡
三之丸東側の出入口であり、「赤穂城引渡一件」文書では川口門とも呼ばれた。幕府へ城明け渡しの後、大石内蔵助は名残を惜しみつつ、この門から退場した。

(11) 干潟門跡
三之丸南西側の出入口。
三之丸跡南西部分が復元工事中なので、この門跡から中には入れない。

(12) 三之丸西南櫓台
三之丸の南西の隅にある櫓台で、往時は二重櫓があった。






ニ之丸跡
二之丸は三之丸の南隣にあり、この2つの曲輪は梯郭式となっている。


(13) 南沖櫓台
二之丸南西に位置し、潮見櫓とともに海上監視のための二重櫓があった。

(14) 水手門跡
二之丸南側の出入口。当時は満潮時には海水が石垣まできており、ここから物資を船で運んでいた。

(15) 米蔵
水手門跡から二之丸跡に入ったところには、かつて二棟ないしは三棟の米蔵があった。船で運ばれてきた米は水手門で船から下ろし、ここに貯蔵されていた。
現在は、米蔵の外観を復元した休憩所が一棟ある。

(16) 潮見櫓台
二之丸南東、水手門の東に位置し、南沖櫓とともに海上監視のための二重櫓があった。

(17) 二之丸東櫓台
に二之丸の東、潮見櫓台の北側に位置する櫓台。

(18) 二之丸東北隅櫓台(復元)
二之丸の東北隅、清水門の南に位置し、往時は二重櫓があった。櫓台の石垣は明治時代に洪水の災害復旧時の資材として大半はもしさられたが、平成に復元された。




(19) 二之丸北隅櫓と堀
二の丸と三の丸を区分する堀を、二の丸門跡から見る。


(20) 二之丸門跡
三之丸と二之丸の間にある門で、虎口は二之丸城壁からやや引き込まれた位置にあった。

(21) 大石頼母助屋敷門
二之丸門から二之丸跡に入り、本丸門に向かう途中の右手(西側)にある。大石内蔵助の大叔父にあたる大石頼母助の屋敷で、発掘調査によって見つかった遺構に基づき屋敷門が復元された。
この西側は二之丸庭園として整備工事中。


本丸跡
本丸は二の丸に囲まれた内側にあり、この2つの曲輪は輪郭式となっている。


(22) 本丸門(高麗門)
本丸の北側に位置し、表玄関となる本丸門は高麗門と櫓門の2門から構成されている。廃城後に取り壊されていたが、平成になり復元された。


(23) 本丸門(櫓門)
本丸門の高麗門と櫓門との間は枡形構造となっている。


(24) 天守台
本丸南東部に位置しており、赤穂城では最も高い石垣(約9m)を誇る。天守は当初から建造されていなった。
前日まで「幻の天守閣」のイルミネーションイベントがあったため、この日はその取り壊しのため天守台には登れなかった。


(25) 厩口門
本丸東側の門で、廃城後に失われていたが、平成になってから門、土塀及び周辺石垣が復元された。


(26) 本丸東北隅櫓台
本丸の東北隅に位置し、往時は二重櫓があった。本丸にあった唯一の隅櫓だった。


(27) 本丸東横矢枡形石垣
本丸の東、厩口門の南側に位置する。櫓台状の石垣だが櫓は築かれず、横矢枡形として配されていた。


(28) 本丸刎橋門跡
本丸の南面、藩邸の裏手にあたる門で、不浄門とも伝えられる。ここから二之丸へ開閉式の刎橋が架けられていた。



(29) 本丸南横矢枡形石垣
本丸の南西隅に位置する。櫓台状の石垣だが櫓は築かれず、横矢枡形として配されていた。


(30) 本丸西北横矢枡形
本丸の西北隅、本丸門の西に位置する。櫓台状の石垣だが櫓は築かれず、横矢枡形として配されていた。






(31) 赤穂城案内図


[赤穂城マップ]


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