2013/12/14

伏見城跡

18切符での過去分が終了したので、この夏の18切符以降の城攻め分を。
まずは秀吉が隠居用に作った伏見城跡。ただし秀吉時代の城は関ヶ原の戦の前哨戦で焼失してしたため、現在の遺構は家康が改修したもの。しかしその伏見城も家光が三代将軍になってすぐに廃城となった。

後年、この地が明治天皇陵となったため、その築造のため一部改変され、さらに本丸跡・西の丸跡・三の丸跡・治部少丸跡・名古屋丸跡・松の丸跡は、現在立入禁止になっている。しかし、そのおかげで開発を免れ、一部改変された部分以外は廃城時の遺構が残っているとのこと。(立入禁止なので、見れないが)

戦後に伏見城の北西の曲輪である御花畑山荘跡に伏見桃山キャッスルランドがオープン。その象徴として模擬天守が建てられた。遊園地は閉園したが、この模擬天守がまだ残っている。



①伏見城跡遠景
近鉄の桃山南口駅から北へ向かう道中の交差点から伏見城跡を見る。





②御船入跡
伏見城の南には宇治川につながる巨大な船入があった。しかし、JRの線路のための盛り土が邪魔で、遺構部分が良く見えない。

③四の丸跡土塁
明治天皇の伏見桃山陵へ続く大階段があるが、ここは四の丸跡の土塁になる。

④四の丸跡
伏見桃山陵の手前の平地は四の丸跡。この北側が本丸跡になるが、伏見桃山陵を築造するため、本丸跡の南側が改造された。

⑤四の丸跡から南側の眺望
階段を上がり、後ろを振り返る。

⑥山里丸跡
四の丸跡の東側の大きな曲輪は山里丸跡。その北側は昭憲皇太后の伏見桃山東陵となっているが、本来の名護屋丸跡の南側が改造された。

⑦三の丸跡土塁
山里丸跡から四の丸跡に戻り、さらに西に進む。その道路の右手(北側)にも巨大な土塁が見える。ここは三の丸跡の土塁だが、立ち入り禁止区域。

⑧石垣に使われた石
西側へ進む通路の左手には石垣に使われた石が並べられている。

⑨治部池
その通路を右に曲がり北に進むと右手に池が見える。ここは堀代わりの治部池だが、ここも立入禁止区域。

⑩模擬櫓門
治部池の北側にある曲輪跡が御花畑山荘跡。ここに伏見桃山キャッスルランドが建てられたので、その入口には模擬櫓門がある。


⑪模擬天守
御花畑山荘跡に建っている伏見桃山キャッスルランドの残骸の模擬天守。遊園地が閉園した後は、京都市の管理となっているが、中には入れない。

⑫大蔵丸跡
御花畑山荘跡の東側は長束正家の屋敷のあった大蔵丸だが、現在はグラウンドとなっている。

⑬弾正丸跡土塁
大蔵丸の東側の坂を降りる。その東は浅野長政の屋敷があった弾正丸跡で、その土塁が見える。

⑭北側堀跡
大蔵丸・弾正丸の北側は、幅100mもの巨大な堀であったが、現在は水は無く、伏見北堀公園となっている。










[伏見城跡マップ]


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