2013/06/25

今治城

福山城の後は尾道経由で今治城へ行った。ただしこの尾道・今治ルートはバスで移動。せっかく18切符を使用しているのでJRで行きたいところだけど、鉄道が無い以上仕方が無い。
福山や尾道では天気が悪かったが、ここへ来て晴れてくれた。予報でも悪かったので、本当にありがたい。

今治城は関が原の合戦の功により伊予半国を与えられた築城の名人・藤堂高虎が築いた城で、普請奉行は槍の勘兵衛こと渡辺了。構造は三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることがでた。築城当時は天守も存在したが、高虎によって丹波亀山城へ移築され、その後は天守は存在しなかった。 また維新後の廃城令により城内の建物はすべて取り壊された。

現在、遺構としては石垣と内堀が残るだけだが、昭和に5重6階の天守が鉄筋コンクリートで再建。平成になってからは鉄御門や多聞櫓5棟が可能な限り江戸時代の史実に基づいた形で復元している。
高松城、中津城とともに日本三大水城の一つに数えられている。



①西側から見た今治城
今治駅が西にあるので、そこから今治城へ行くとこの角度の今治城がまず目に入る。
広い幅の内堀に高石垣という防御力が高そうな縄張りであることが分かる。





②高麗門(再建)
幅の広い内堀に細い土橋が繋がっており、高麗門の奥には高石垣の上に山里櫓と山里門を構えている。

③多門櫓(再建)と模擬天守
多聞櫓は平成19年に再建された。


④模擬天守
今治城の天守は高虎によって丹波亀山城へ移築されたと言われていたが、最近はそれが疑問視されている。そのため今治城の再建天守は、当初の建築の実在について明確な資料が少ないため、史実に基づかない「模擬天守」であると評価されている。ただ、実在したとしても本丸内にあり、現在の再建天守とは位置が違うので、やはり模擬天守のはず。
再建に際しては丹波亀山城天守の外観を参考にしたとされている。


⑤山里櫓と山里門(いずれも再建)
高麗門から城に入った先にある山里櫓と山里門。三のの丸西側に開かれた櫓とそれに続く櫓門で、平成2年に再建された。


⑥藤堂高虎像と模擬天守
山里門から入った先の三ノ丸には藤堂高虎像がある。



⑦鎧
天守の中には、兜・甲冑が展示されており、これはその中の一つ、藤堂家伝来の総練革二枚胴具足。

⑧天守から見た三の丸跡
今治城内曲輪の北側にある三ノ丸跡。
内堀を土橋で渡るとこの三ノ丸に入る。

⑨天守から見た二の丸跡
内曲輪東側にある二の丸跡。


⑩天守から見た本丸跡
内曲輪南側にある本丸跡。現在は吹揚神社が建っている。

⑪天守から北側の眺望
写真ではわかりにくいが、奥に来島海峡大橋が見える。


⑫多聞櫓(再建)
三ノ丸の北東側にある土橋との虎口となっている鉄門枡形を囲んでいる多門櫓。

⑬鉄御門(再建)
北東の土橋は内曲輪の大手口となっており、その防御のために鉄御門は厳重な枡形虎口となっている。
明治4年に撤去されたが、平成19年に枡形石垣とともに再建された。



⑭武具櫓(再建)
内曲輪の北隅櫓。
昭和55年に再建された。


⑮御金櫓(再建)
内曲輪の東隅櫓。
昭和60年に再建された。


⑯本丸石垣
藤堂高虎の特徴である、犬走りがある。




[今治城マップ]


より大きな地図で 今治城 を表示

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