2013/07/18

月山富田城跡

18切符での山陰城攻め旅行、2日目。松江城で折り返しての月山富田城。

月山富田城は、標高197mの月山山上に本丸をおく複郭式山城。日本五大山城および日本五大山岳城に選ばれている。
月山富田城の歴史はかなり古く、平安時代の保元・平治の頃に平氏の武将が築城したとの伝承がある。
戦国時代には尼子経久がここを本拠にして中国地方最大11カ国まで勢力を拡大し、それとともに城も拡張、難攻不落の城を築いた。しかし毛利元就の台頭と共に衰え、経久の曾孫・義久のときに毛利軍に包囲され降伏・開城する。
江戸時代に入り、この地に入封した堀尾忠氏は松江城を築城して、月山富田城は廃城となった。

JRの最寄り駅は安来駅。駅から離れているので、そこから安木市イエローバス・広瀬バスターミナル行きに乗って、「市立病院前」で下車。



①月山富田城跡遠景
周囲を断崖絶壁で囲まれた難攻不落の城で毛利軍が大群で包囲しても力攻めでは落城せず、兵糧攻めにより降伏した。





②巌倉寺
バス停から月山富田城跡の方向に進んで、富田橋を渡った先にある。ここから月山富田城に向かう。


③御子守口
巌倉寺を通り抜けて、谷筋を進む御子守口を通って月山富田城跡に向かう。
この左手の尾根筋には曲輪群があるが、バスの時間の関係上そちらに行く余裕が無かった。

④大手門跡の石垣
山中御殿に続く大手門。


⑤山中御殿跡
月山富田城への登城ルートは北側の菅矢口(大手)、南側の塩谷口(搦手)、そして実際に上がってきた北西の御子守口(脇道)の3ルートあるが、いずれもここを経由して山上の本丸へ登城するため、月山富田城の重要な防衛拠点となっていた。
尼子時代に山中鹿之介の御殿なんてあるわけ無いやろーと思っていたら、山中氏のことではなく、山の中腹という意味だった(^^ゞ


⑥山中御殿復元石垣
ここから山頂の本丸へ登る。


⑦七曲がりの急坂
山中御殿跡から山上への登城路は、急勾配の山道となっている。

⑧三ノ丸石垣
古い山城にも関わらず予想外に立派な石垣。城跡整備で下部は地中に埋まっていたのを発掘、上部は石を積み足したとのこと。尼子時代にこういう石垣があったとは考えにくいから、毛利時代の石垣?


⑨本丸跡から見た二ノ丸跡
本丸との間にはかなり幅の広い、深い堀切がある。


⑩二ノ丸跡から見た本丸跡
三ノ丸・二ノ丸は石垣なのに、本丸は何故か土盛。


⑪本丸跡
山頂部にある本丸跡は、かなり広い。


⑫本丸跡から北東側の眺望
写真ではわかりにくいが奥に中海が見える。


⑬勝日高守神社
本丸の奥にある神社。城跡にはよく神社が建立されるが、この神社は築城前からここにあったとされる。築城後は守護神社として祀られた。


⑭月山富田城跡案内図



[月山富田城跡マップ]


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