昨夏の18切符の7つ目は京都北部に行って、宮津城跡。
宮津城は、信長により丹後国を与えられた細川藤孝が築いた城。関ヶ原の戦いでは西軍の攻勢を防ぐために田辺城に篭城し、その時自らの手で宮津城は焼き払われた。後に細川家が豊前国に転封すると、京極高知が入封して宮津城は大規模に改修された。
維新で廃城になった後は、城地の市街化が進み、現在は遺構と呼べるものがほとんど残っていない。
①鉄門の袖石垣
本丸入り口鉄門の袖石垣の一つ。宮津城の数少ない遺構。
②石垣と城壁(ともに復元)
宮津城は大手川を外堀として利用しており、その大手川に沿って石垣と城壁が復元されている。川の向こう側は三ノ丸だった。
③太鼓門(移築)
市立宮津小学校に移築された、馬場先御門の太鼓門。
④宮津城の縄張り
KTR宮津駅から北側で、川に挟まれた部分が宮津城となっていた。
[宮津城マップ]
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