2013/07/01

岡豊城跡

18切符での四国城めぐりもラスト、高知城の次は長宗我部元親の居城・岡豊城跡へ。

岡豊城は標高97mの岡豊山に位置する連郭式山城。
鎌倉時代初期に長宗我部能俊が信濃より土佐へ移住し、土佐長宗我部氏が始まった頃に築城されたと言われる。兼序(元親の祖父)の時代に一度落城するが、国親(元親の父)の時代に復帰。元親は土造りから石造りの城に大改修を行い、この城を拠点に四国を統一した。
しかし元親が四国統一したころには、信長が近畿を支配しており信長と対立。信長軍の四国遠征の直前に本能寺の変が起こり一度は難を逃れるも、次の覇者・秀吉の四国征伐軍に敗れて土佐一国に押し込められた。秀吉に膝を屈した元親は本拠を浦戸城に移し、岡豊城は廃城となった。

岡豊城跡の最寄り駅はJR土佐大津駅。岡豊城跡はそこから少し距離があり、しかも城跡への入り口が駅とは反対の北側。その北側へ行くために城跡のある岡豊山の東側の道路を通っていると、西の岡豊山方向へ行く山道があった。そこから城跡に行けそうと登ってみたら、その山道は山腹の墓地で行き止まり。そこからさらに西へ行けそうな獣道っぽいようなところも無かった。
ただでさえ駅から遠い上にこういう無駄足をしてしまったため、同じ距離を歩いて帰る体力も無くなってしまった。城跡のすぐ北側に歴史民俗資料館があり、そこから高知駅までバスがあったので、帰りはそのバスに乗って高知駅に逆戻りした。



①岡豊城跡遠景
岡豊城の南側には国分川が流れており、天然の水堀となっていた。





②土佐の山村民家
城跡とは関係ないが、愛媛県境の山村・東津野村から解体移築した民家。高知県立歴史民俗資料館の屋外展示資料。


③高知県立歴史民俗資料館
城跡のすぐ北側にあり、ここまでバスが来ているので、最初からバスに乗ってくれば良かった。


④ニノ段
岡豊城は山頂の詰の段の東西に階段上に曲輪が配置されているが、これはその東側の曲輪。

⑤堀切
二ノ段と東の詰下段との間には堀切がある。

⑥詰下段
詰ノ段東に付属する小曲輪で、二ノ段から詰ノ段への出入り口を守るために造られたと考えられる。


⑦詰ノ段
岡豊山の最上部にある、城の中心部で本丸に相当。


⑧詰ノ段から南側の眺望
奥に太平洋が見える。


⑨三ノ段石垣
詰ノ段の西側にある曲輪。


⑩四ノ段虎口
四ノ段北側にある虎口


⑪四ノ段
三ノ段の西側にある曲輪。

⑫展望広場にある石碑
四ノ段のさらに南西側に展望広場があり、そこに岡豊城址の石碑がある。


⑬岡豊城跡案内図




[岡豊城マップ]


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