桶狭間関連の城・砦跡、4つ目は丹下砦跡。
5/19未明に清州城を飛び出した信長は熱田神社で軍勢を整え、その後に鳴海城の北にある丹下砦に入る。熱田神社で軍勢を整えていたとき、鷲津・丸根砦方面から煙があがっているのが見えて、その時点で両砦が陥落したことが分かったと言う。
丹下砦は、鳴海城が大高城とともに今川義元の支配下となった時に、その鳴海城に対抗するため善照寺砦、中嶋砦とともに築かれた砦である。
現在、丹下砦は跡形も無くなっており、さらに案内板等も一切無かった。
①光明寺
鳴海城跡の北にある光明寺の裏手が城跡に当たるが、大部分が墓と住宅になっており、遺構は何も残っていない。
②光明寺裏手の墓
光明寺の山門から中に入って裏側に行くと、さらに一段高くい墓場がある。この一段高くなっているところに砦があったと思われる。
[丹下砦跡マップ]
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