13年夏の18切符1つ目は桶狭間の戦い関連の城跡・砦跡。その桶狭間のイベント順に、まずは大高城跡。
1560年5月18日夜、今川方の松平元康が大高城への兵糧入れに成功。大高城は織田方の砦に包囲され、兵糧攻めに合っていた。
大高城は比高20mほどの台地に築かれた平山城。築城年代ははっきりしないが、南北朝時代には城があったらしい。織田信秀の頃は織田方であったが、信秀の死後は今川方に。朝比奈氏や鵜殿氏といった今川の家臣が城を守っていて、桶狭間で今川義元が討たれたときは、兵糧入れに成功した松平元康が大高城を守っていた。元康はそのまま岡崎城へ帰り、大高城は廃城となった。
JR大高駅の南側にあり、普通に歩いて行ける距離にはあるが、案内が少なく城跡への道が分かりにくい。また市街地のど真ん中にある割には、遺構はかなり良好に残っていた。
①石碑
北側に登城路があり、その道を少し上がったところに石碑がある。この道をさらに上がると2郭跡に行く。
②腰曲輪
石碑のあるところは、腰曲輪になっている。
③2郭跡
石碑のある場所からさらに上がると、2郭跡に出る。写真のようにかなりの広さがある。
④主郭跡
2郭跡の北側に主郭跡があるが、他の曲輪がかなり整備されているのに対し、何故か主郭は放置状態。
⑤土橋
2郭跡の南側から、さらに南西にある3郭跡との間にある土橋
⑥空堀
土橋の左右は木が鬱蒼と生い茂っているので分かりにくいが、結構な大きさの空堀となっている。
⑦3郭跡
2郭跡から土橋を抜けて南西方向に行くと、3郭跡に出る。
⑧4郭跡
3郭跡の西側には4郭跡がある。
3郭跡も4郭跡も綺麗に整備されているというのに、何故主郭跡だけは放置なんだろう。
[大高城跡マップ]
より大きな地図で 桶狭間関連の城跡 を表示
[余湖図](参考)
(※余湖図は「余湖くんのお城のページ」から転載させて貰っています)
0 件のコメント:
コメントを投稿