2013/08/04

沓掛城跡

桶狭間関連の城・砦跡、5つ目は沓掛城跡。
5/19朝、今川義元が沓掛城から出発する。17日にこの城に入城し、ここから大高城への兵糧入れや鷲津砦丸根砦への攻撃命令を出していた。

沓掛城は、北方の長久手・岩崎方面からの街道と鎌倉往還とが交差する交通の要衝に建てられた平城。応永年間(1394-1428)に城が築かれ、以後、近藤氏が沓掛城主となっていた。戦国時代に入り、城主・近藤景春は織田信秀の勢いが強いときは信秀に従い、信秀の死後は今川義元の傘下に入った。
桶狭間で義元が討たれた後は、織田軍により沓掛城は落城。城主の近藤景春は討ち死にし、桶狭間の戦いで勲功一番とされた簗田政綱が沓掛城の城主となった。
関ヶ原の戦いでは、そのときの城主・川口久助は西軍に参陣。敗戦後に廃城となった。

現在、城跡は「沓掛城址公園」として整備されており、本丸、空堀、諏訪曲輪などの遺構が良好な状態で保存されている。
最寄り駅は前後駅だが、駅からは離れているのでバスで移動。バス停も少し遠いので、それなりに歩く必要あり。



①空堀
バス停は南側にあるので、そこから歩いて行くと、大手門跡から城跡に入る。
その大手門跡の左(西)側には空堀が良好な状態で残っている。





②二の丸跡
大手門跡の南東には二の丸跡があり。

③大手門跡
本丸南側には空堀で挟まれた土橋があり、そこが大手門であった。

④本丸跡
大手門跡から見た本丸跡。結構な広さがあった。

⑤諏訪曲輪跡と空堀
本丸の西側には諏訪曲輪があり、その間には空堀がある。

⑥諏訪曲輪跡



⑦侍屋敷跡
諏訪曲輪跡から見た侍屋敷跡。
本丸の北側にはかつて侍屋敷があった。

⑧案内図



[沓掛城跡マップ]


より大きな地図で 桶狭間関連の城跡 を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿