暑さも少しマシになった8月下旬になって、ようやく18切符の2つ目を使用し、苗木城跡へ行ってきた。
苗木城は、木曽川の畔・標高432mの高森山に築かれた山城。別名、霞ヶ城や赤壁城とも呼ばれる。
鎌倉末期に遠山景長が高森山に砦を築いたのが始まり。戦国時代に入り、遠山直廉が苗木城を築いた。織田・武田の巨大勢力に挟まれるが、両者と縁戚関係を結び生き延びる。しかし本能寺の変後は豊臣方の森長可に城を落とされ、河尻秀長か城主となる。逆に関ヶ原の戦では、徳川方についた遠山友政が苗木城を奪い返し、この功により、遠山氏は再び苗木城主として返り咲いた。遠山氏による苗木藩はわずか1万石の小藩だが、それにしては立派すぎる城である。
最寄り駅はJR中津川駅だが、そこからバスで移動。北恵那バスの「加子母・付知・福岡」方面「付知峡倉屋温泉」行きの「苗木」停留所で下車。停留所からも少し離れているが、写真で見る急峻な山城をイメージしていると拍子抜けするほど、あっさり城跡まで行ける。
ただしバス停近くには苗木城跡への案内は全く無いので、苗木城までのコースは事前に調べておく必要あり。
1. 大手口
苗木停留所は城跡の北側にあり、そこから南に歩いて行くと、城跡北西の大手口に着く。
何となく後世の石垣っぽかったのだが、ここが大手道ならこの石垣も当時の遺構なのかな。
2. 足軽長屋跡
大手口から入ってすぐ右手にある。足軽が城に出仕する場合、最初にこの長屋に立ち寄ることになっていた。
てっきり、下草を刈ったこの更地部分が足軽長屋跡かと思って写真をとったのだが、写真の右手にある一段高くて草が伸びている方が足軽長屋跡らしい
3. 大手道沿いの巨岩と石垣
そのまま大手道を東に直進すると、左手に巨岩があり、それと合わせて石垣があった。
4. 風吹門跡
そのまま大手道を直進すると、大手門にあたる風吹門跡に着く。
城下から三の丸への出入口に位置する。城主の在常時には開門・江戸剤府中は締め切られ、右側の潜戸が利用されていた。
5. 風吹門
苗木遠山資料館にあった風吹門。
6. 大矢倉跡(外側から)
風吹門跡から城の内部に入らず、その手前で左(北)に曲がって、大矢倉跡を城の外側から見る。
7. 北門跡
大矢倉後を右に見て、そのまま北に直進すると北門跡に出る。
城の大手門である風吹門から見て北側にあるからその名が付いた。
8. 大矢倉跡(三の丸跡から)
風吹門跡まで戻り、そこから三の丸跡に入ってすぐ左手(北側)にあるのが大矢倉跡。三階建ての大櫓が構えられていた。
9. 駈門跡
三の丸跡の東側にある門。
10. 大門跡
風吹門跡から三の丸に入り右(南)にすすむと大門跡。
大門は苗木城の中で最も大きい2階建てのの門で、三の丸と二の丸とを仕切っていた。
11. 二の丸御殿跡
大門跡から二の丸に入った後、大手道から右の脇道に逸れて西側の一段下がったところが二の丸御殿跡。
12. 二の丸御殿跡から本丸方向を見る
一段下がった二の丸御殿跡から東側を見る。
13. 不明門跡
二の丸御殿跡からさらに南に進んだ先にある。普段は締め切られ、忍びの門とも言われていた。
現在、門から外につながる道は確認されていないとのこと。
14. 清水門跡
不明門跡から西に進んだ先にある門。
門の北側にある大岩の下から清水が湧き出て、どんな時でも枯れることが無いと言われている。
15. 八大竜王社
清水門跡から出たすぐ先、巨岩の合間に祠が安置されている。この祠は八大竜王社で、明治以降、ここに移設された。
16. 綿蔵門跡
大手道まで戻り、大門跡から南に進んだ先にある門。本丸へ上る道をさえぎる形で建てられている。
門の名の由来は、年貢としてお和眼られた真綿が、門の二階に保管されていたことからきている。
17. 坂下門跡
綿蔵門跡から先に進み、折り返してすぐ、また門がある。
18. 菱櫓門跡
坂下門跡から北に進んだ先に、またまた門が。
19. 菱櫓門跡から本丸石垣を見る
菱櫓門跡から先は、また折り返して南に進む。
20. 千石井戸
苗木城内の井戸で一番高い場所に位置する井戸は、高所にも関わらず、どんな日照りでも水が枯れることがなかったと伝えられており、千人の用を達することから、千石井戸と名付けられている。
この日も水が溜まっていた。もっとも汚くてとても飲む気にはなれなかったが。
21. 本丸口門跡
本丸口門は千石井戸の西側にある門で、二の丸と本丸との境となる門。総欅で造られていたことから、欅門とも呼ばれていた。
22. 本丸口門付近から本丸方向を見る
ここまで来ると、天守の足場がはっきりと見えてくる。
23. 武器蔵跡
本丸口門から入った右手には武器蔵や具足蔵があった。現在は礎石や縁石がそのまま残されている。
24. 笠置矢倉跡
本丸口門跡から南に進んだ先の突き当りには矢倉があった。常時何も置かれておらず、正面に笠置山が見えることから、「笠置矢倉」と呼ばれていた。
25. 天守台西側
笠置矢倉から戻って東側を見上げる。
26. 玄関口門跡
笠置矢倉跡から本丸口門跡に戻る途中で枝分かれした道をさらに上ると、またまた門。玄関口という名前から分かるように、この道が大手道。
27. 本丸跡
玄関口門跡(写真右側)から入ると、北側に若干のスペースがある。天守跡には写真左の階段を使って岩の上に行く。
28. 本丸跡から東側の眺望
玄関口門跡から入った本丸跡から東側を見る。正面に流れているのが木曽川で、奥に見える一番高い山が恵那山。
29. 天守台北側
本丸跡から階段を上がった先にはまたスペースがあり、その南側に巨岩とそこの上に足場がある。
30. 天守台東側
東側のスペースには「次ノ間」があった。
31. 天守台展望台の足場
苗木城の天守は二つの巨岩にまたがる形で作られ三層となっていた。この巨岩の上の柱の梁組は、苗木城天守3階部分の床面を復元(想定)したもので、岩の柱穴は既存のものを利用したとのこと。
32. 天守台展望台から西側の眺望
岩の上に作られた展望台(天守3階の床面)からの眺望。
33. 天守台南側
天守台東側から南に抜ける通路があるので、そこから見た南側の足場。
34. 馬洗岩
天守台の南側の通路を降りた先には、周囲約45mの巨大な花崗岩質の自然石がある。
かつて苗木城が敵に攻められて水の手を切られた時、この岩の上に馬を乗せ、米にて馬を洗って水が豊富であるかのように敵を欺いたことから、馬洗岩と呼ばれる。
35. 馬洗岩近くから天守台を見る
[余湖図](参考)
(※余湖図は「余湖くんのお城のページ」から転載させて貰っています)
[苗木城跡マップ]
より大きな地図で 苗木城跡 を表示
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