桶狭間関連の城・砦跡、7つ目は中嶋砦跡。
善照寺砦を出た信長軍はそこから南進、中嶋砦に入った。ここで今川義元が田楽狭間で休息中との情報を入手。兵の半数を陥落した丸根砦・鷲津砦へ向けて彼らを囮とし、残りは田楽狭間へ向かう。そしてそこで今川義元の首を取った。
中嶋砦は、信長が鳴海城を囲むように築いた三砦の一つ(残る2つは丹下砦と善照寺砦)。桶狭間の戦いで今川義元の首が取られると今川軍は撤退。それとともに、中嶋砦の役割も終わった。
①中嶋砦跡
中嶋砦は扇川と手越川の合流地点に位置していた平城。遺構は何も残っておらず、川もコンクリートで固められているが、その川に挟まれた三角地帯に砦跡の面影を見ることが出来る。
[中嶋砦跡マップ]
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