2014/03/21

長篠城跡

この冬の18切符のラストは愛知県新城市長篠にある長篠城跡へ。

長篠城は戦国時代初期に、今川氏親に誼を通じた菅沼元成が築城した平城。
戦国時代後期には武田氏と徳川氏との間で争われ、信玄亡き後に徳川が攻め落とした。そして奥平信昌が城主となり、武田軍の再侵攻に備えて家康により城が拡張された。現在残る本丸の大規模な土塁などはこの時のものと考えられている。
この奥平信昌が守る約500の手勢に対し、武田勝頼は1万5000の大勢で包囲するも攻め落とせず、援軍に来た織田・徳川連合軍に対して長篠の合戦で大敗し、武田氏は滅亡への道を歩むこととなる。
長篠城は、このときの攻防戦で城が大きく損壊したこともあって廃城となった。

現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されている。



①牛渕橋から見る長篠城跡
長篠城跡の南にある牛渕橋から城跡を臨む。左側の寒狭川と右側の宇連川との合流点にあり、川との間は断崖絶壁となる要害の地である。
JR飯田線の鳥居駅と長篠城駅との間にあり長篠城駅の方が近いが、宇連川を渡る橋が長篠城駅より向こう側にあるため、手前の鳥居駅で降りて牛渕橋を通って長篠城跡へ向かう。






②搦手門跡
長篠城駅近くを通りすぎて宇連川を渡ってからUターンして長篠城跡へ向かう。こちら側は搦手となり搦手門跡がある。

③二の丸跡
長篠城駅側にあたる、城跡の北東方向には二の丸跡がある。

④本丸土塁と内堀跡
二の丸跡と本丸跡との間には大規模な内堀と土塁が築かれている。
城の南東側と南西側は断崖絶壁で守られているが、敵の武田軍は地続きの北側から攻めてくる。そのため、北側からの守りを重視して改修された。

⑤線路で破壊された本丸土塁と内堀跡
その見事な本丸土塁と内堀跡は、JR飯田線により分断・破壊されている。
ここには踏切があり、その踏切を渡って、南側の野牛郭跡へ行く。

⑥物見櫓跡
踏切を渡ってJR飯田線に沿って南西に行くと、物見櫓跡がある。

⑦殿井
物見櫓跡のさらに先には泉が湧き出ており、城兵の貴重な飲水になっていた。

⑧野牛郭跡
さらに先には平地が広がっており、そこが野牛郭跡。


⑨野牛門跡
野牛郭の南側には門跡があるが、この南は断崖絶壁の川しか無いはずなのに…

⑩帯郭跡
元の道をもどりJR飯田線の北側へ移動。本丸土塁と内堀に沿って北側に進んだ先にある平地は帯郭跡。

⑪大手門跡
本丸の北側に大手門跡があり、大規模な土塁はここで途切れて、土橋がかかっている。

⑫本丸東側土塁
大手門跡から本丸に入って、左側の土塁を見る。

⑬土塁上にある石碑
その土塁に登ると、石碑がある。

⑭土塁
土塁の上は歩けるように歩道となっている。

⑮土塁から見た本丸跡
土塁の上から南西側の本丸跡を見る。

⑯土塁から見た二の丸跡
土塁の上から北東側を見る。奥に見えるのが武田軍包囲時に陣地を作ったうちの一つ・大通寺山陣地跡。
北側からの守りを固めるために土塁や空堀を築いたが、それでも1万5千の大軍を相手に守りきれる城とは思えない。


⑰線路で破壊された本丸土塁
土塁の上を歩いて先に行くと、さきほどのJR飯田線により破壊されたところに出る。

⑱弾正郭跡
本丸北側の弾正郭跡に行くが、遺構はほとんど無し。
本丸と野牛郭周辺は遺構が残っているが、それ以外には遺構はほとんど残っていないようだ。

⑲長篠城縄張り図





[長篠城跡マップ]


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