2013/05/22
(摂津)小浜城跡
GW後半に行った小浜城跡。小浜城と言えば若狭が有名だが、これは摂津にある。読み方も若狭のが「オバマ」なのに対して、摂津のは「コハマ」。
伊丹台地の西端に位置し、寺内町として発展する。南西北の三方を迂回する大堀川に囲まれる地形に加えて、残る東側に溜池を掘り土塁を築いて城塞化し、戦国時代は一向宗勢力の拠点となった。
荒木村重謀反時には信長方について難を逃れたが、ここの寺から秀次に側室を出したため連座責任として秀吉により焼き討ちされた。その後の江戸時代には、有馬などの街道が通る交通の要衝のため宿場町として発展した。
名前の由来は平安時代に周辺が陸化するまでは、ここが瀬戸内海が深く入り込む浜だったことから。宝塚に近いここまで海があったというのが驚き。
①北門跡
橋の対岸の付け根あたりが北門跡。大堀川が深い谷のため、天然の要害となっている。
②大堀川
北門に架かっている橋から大堀川を見る。川幅は大したことが無いが、高さが結構ある。
③東門跡
各門跡には社が建っている。
④南門跡
各門跡には社が建っているが、南門跡だけは小浜宿案内図に載っている場所と、社が建っている場所が若干ずれている。
⑤小浜宿案内図
町の三方を大堀川で囲まれていることが分かる。
[(摂津)小浜城跡マップ]
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