京極高次が小浜城に移る前に入城した後瀬山城は、背後の標高168m、比高160mの後瀬山山頂に主郭を配置した山城。室町時代に若狭国守護・武田元光が築城した。戦国時代になると朝倉家を滅ぼした織田家が若狭を支配。その家臣である丹羽長秀が城主となって城を補修、現在の縄張りとなった。江戸時代になって小浜城が完成すると、後瀬山城は廃城となった。
①後瀬山城跡遠景
JR小浜駅の裏手にあり、小浜駅のある北東側から後瀬山城跡を見る。
②登城入り口
山頂にある後瀬山城の主郭跡には愛宕神社があるので、入り口には鳥居が建っており、登城路は参拝路となって階段が整備されている。
この階段はかなりの急勾配となっており、当時は登城路では無かったと思われる。
③曲輪群
階段を登りきって進むと、右手に多段に渡る曲輪群がある。
④三の郭跡
曲輪群の先を進むとかなり開けた場所・三の郭跡に出る。
⑤土橋
三の郭から二の郭への間には土橋がある。
⑥二の郭跡
土橋の先にある郭跡
⑦主郭虎口跡
二の郭から主郭への入り口で、この辺りになると、石垣が積まれている。
⑧主郭跡の石垣
主郭の西側には石垣が積まれている。
石垣は丹羽長秀時代に築かれた。
⑨主郭跡
主郭跡には愛宕神社の祠が祭られている。
⑩主郭跡からの眺望
木々の間からわずかに小浜湾が見えるが、木が育ちすぎて眺望には期待出来ない。
⑪案内図
頂上部の主郭まで行って引き返してしまい、その少し先の山上御殿跡を見逃した。入り口でこの案内図を見ていたのに orz
[後瀬山城跡マップ]
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[余湖図](参考)
今回はAの左の道から登ってきて、A→4→2→1と進んだ。
この図を見ると1の右下とか3とか、見逃した遺構がかなり残っていそう。
(※余湖図は「余湖くんのお城のページ」から転載させて貰っています)
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