現存12天守、かつ国宝4天守に数えられる平山城。
犬山城は、信長の叔父である織田信康が木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築いた砦が前身。その後、何代も城主が替わり、関ヶ原の戦の前後に城郭が整備。江戸時代に尾張藩の付家老・成瀬正成が城主になって、現在のような姿に改修された。
明治の廃城令で、櫓や城門などの天守以外の建物はほとんど取り壊された。
①木曽川沿いの丘に建つ犬山城
犬山城の北から西は、木曽川が天然の水堀となっている。
②丘の麓から見た犬山城
犬山城の南側以外は急斜面となっている。
③三光稲荷神社参道
犬山城は東北西の三方向が急峻な斜面なため南側から登城するが、その南の三の丸跡には針綱神社と三光稲荷神社が並んでおり、どちらかを通り抜けていく必要がある。
④道具櫓台
三光稲荷神社を通り抜けると野面積みの石垣が見える。ここにはかつて道具櫓があり、この道具櫓北側には黒門があった。
⑤本丸へ続く石段
道具櫓台から本丸への登城路である直線状の石段がある。
⑥小銃櫓台
登城路突き当りの左手にはかつて小銃櫓があり、その手前に岩坂門があった。
櫓台の上には、櫓風の建物があるが、これは小銃櫓とは何の関係も無い茶室。
⑦本丸鉄門
本丸虎口にあり、鉄板で覆われていたことから鉄門と呼ばれる。
現在のは、昭和40年に建てられた復興櫓門。
⑧現存天守(国宝)
三重四階の望楼型天守。「金山越え」と呼ばれる美濃金山城から木曽川を利用しての天守移設説があり、現存最古の天守とも言われている。
しかし、昭和36年の解体修理時の調査で、天守移設説は否定された。
⑨穴倉中段の踊り場
天守へは天守台の穴倉から入るが、天守台の高さが高くて途中に踊り場がある。
⑩天守一階 上段の間
畳敷きで、床の間・遠棚があるが、城主の居所では無く、幕末頃に装飾用として造られた。
⑪天守二階 武具の間
名前の通り、武具の置き場であった。
⑫天守三階 破風の間
屋根裏階で、階高がかなり低い。
⑬天守四階より北東方向(木曽川上流)の眺望
橋のすぐ向こうに見える小高い丘が鵜沼城跡。
⑭天守四階より西方向(木曽川下流)の眺望
木曽川の堰の向こうに見えるのが伊木山。
⑮天守四階より見た本丸跡
[犬山城マップ]
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