2013/11/07

庭瀬城跡

撫川城跡に行ったついでに、すぐ東側にある庭瀬城跡にも行ってきた。

庭瀬城は、関ヶ原の戦功により旧領を回復した戸川達安が撫川城の曲輪の一部を利用して築いた平城。
戸川達安は宇喜多秀家の重臣であったが、関ヶ原の戦では主家を裏切り、東軍に付いていた。戸川氏の4代目が夭折して嗣子なく断絶した後は、久世氏が入城。また戸川分家も再興して撫川城に入城していたので、わずかの距離に2人の藩主が住んでいたことになる。




①庭瀬城跡と堀
堀とか水路を除いてはほとんど城跡らしい遺構は残っていないが、その中で清山神社の北側は唯一、城跡っぽい。




②周囲の水路
庭瀬城跡の周囲は住宅が開発されているが、水路や堀がよく残っており水路・堀に浮かぶ住宅の絵はなかなか面白い。



[庭瀬城後マップ]


より大きな地図で 撫川城跡・庭瀬城跡マップ を表示

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