2012年春の18切符5つ目は岡山県。まずは撫川(なつかわ)城跡。
撫川城は泥沼の地に築かれた典型的な沼城で、備中国の
備中松山城の城主・三村家親が備前国の宇喜多直家に備える為に築かせた。三村氏滅亡後は毛利氏の出城となり、 秀吉の備中攻めの際には毛利方の国境防備の城「境目七城」の一つとなる。
備中高松城の攻防時に秀吉軍により落城し、その後は宇喜多氏の支配下になるが、秀吉と毛利との和解後に廃城となった。
江戸時代に入り、戸川氏が撫川城の東に庭瀬城を築いたが、その戸川庭瀬藩は4代で改易。分家の戸川逵富が5000石で再興し、撫川城本丸跡に陣屋を築いた。
①本丸跡西側の石垣と堀
高さ4mの高石垣が現存している。
②撫川知行所総門
明治後に現時点に移築。
③本丸跡
現在は撫川城址公園となっており、敷地内北側には三神社が鎮座している。
[撫川城跡マップ]
より大きな地図で 撫川城跡・庭瀬城跡マップ を表示
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