2013/11/16

竹田城跡

さらに遡って、2011-2012年冬の18切符での城攻め。
18切符を利用したのは実はこの時が初めて。その初の18切符は竹田城跡。

竹田城は、播但道および山陰道を見下ろす標高354メートルの古城山(虎臥山)の山頂に築かれた梯郭式山城。縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城とも呼ばれる。また、しばしば円山川の川霧により霞むことから、最近は天空の城とか日本のマチュピチュとも呼ばれている。

竹田城は守護大名の山名宗全が築いた城で、太田垣氏を城主とした。やがて太田垣氏は山名氏から独立した勢力となったが、戦国時代も末期になると織田と毛利の大勢力の争いに巻き込まれ、いずれかの勢力に降伏や落城を繰り返した。本能寺の変で信長が死亡して秀吉の天下になった後は、赤松広秀を城主にして竹田城を改修。現在の石垣積みの城郭を築いた。赤松広秀は関ヶ原では西軍に属したため、戦後に切腹、竹田城は廃城となった。



①竹田駅
大阪から始発に乗っても、竹田着は9時過ぎ。雲海は早朝に発生するから間に合わないと思っていたが、この時間でもまだ雲海が残っていた。大急ぎで、竹田城のある背後の山に登る。




②登城口付近
登城口は駅のちょうど裏ぐらいだが、そちら側に改札口はなく、踏切が少し離れた場所にあるので少し遠回りしなければならない。
12月上旬だったが、麓付近はまだ紅葉が残っていた。


③登城路の紅葉
登城路に紅葉が残っていたので、霧がかった麓の町を背景にした紅葉を。

④見付櫓台
山上に近づいても雲海はまだ晴れていなかったが、その雲海の位置が高い。雲海の上に浮かぶ絵が欲しかったのだが、完全に雲海の中に飲み込まれていた。
また山上にはもう雪が積もっていた。


⑤見付櫓台
竹田城の北東の隅にあり、名前の通り登城する人を見張るための櫓だったのだろう。


⑥大手門跡
見付櫓の足元からの入り口が大手口で、ここに大手門があった。虎口はL字型になっている。



⑦大手口付近の櫓台
大手門から城内に入り、すぐ左折して三の丸へ行く。自分が立っているところおよび正面の石垣の上には櫓があって、大手口から侵入する敵に対して正面や側面から攻撃する。

⑧三の丸跡
L字型の虎口から登ると三の丸跡がある。正面の石垣の右手に武の門跡がある。

⑨武の門跡
三の丸跡の西には武の門と呼ばれる門があった。ここから三の丸と二の丸との間の帯曲輪に入る。

⑩二の丸跡
武の門から入り、さらに一段上がった先が二の丸跡。


⑪天守台
二の丸跡の西に本丸と天守台がある。右側にあるスロープで本丸に向かう。

⑫天守台から見た北東側城郭
本丸から天守台に登り、そこから北東側を見る。こちらは登城してきた方向で、右手前に二の丸跡が見える。その奥に三の丸跡が見えるが半分雲海に埋もれている。そのさらに奥に見えるのが北千畳跡。

⑬天守台から見た南側城郭
手前に南二の丸、奥に南千畳が見える。


⑭天守台から見た西側の山並み
分かりにくいが奥は本丸跡で、天守台ととの間には石段が無く、本丸に設置されていた御殿と天守と建物内で繋がっていたと思われる。
訪れた2011年は梯子が設置されていた。ただし一年後の2012年に来たときはここに階段が設置されていた。


⑮天守台から見た南西側の山並み
天守台から色々眺めていると、南側からあっという間に雲海が晴れていった。

⑯天守台
雲海が晴れて現れた青空をバックにした天守台。

⑰南二の丸跡
南側の城郭に行き、まずは南二の丸跡。

⑱南千畳跡
南二の丸跡のさらに南側にある南千畳跡。城内最大の曲輪跡とのこと。

⑲三の丸跡から北西方向の眺望
三の丸跡まで戻り、雲海が晴れた景色を見る。

⑳麓から見る竹田城跡
麓に降りて竹田城跡を見上げる。この手の山城は木が邪魔になって石垣が見えないところが多いが、ここは見事に石垣が見える。


(21) 1年後の天守台
翌年の秋に知人に車に乗せてもらって竹田城跡に来ると、1年前とは比べ物にならない人人人…
季節(この時は11月上旬)も時間帯(夜明け前)も違うので単純には比較できないかもしれないが、あまりの人の多さにビックリした。
今年はさらに増えているとのことなので、ブームが落ち着くまで行かない方がいいかも。
(残念ながら、このときは雲海は発生せず、さらに日の出も拝めず orz)





[余湖図](参考)
(※余湖図は「余湖くんのお城のページ」から転載させて貰っています)



[竹田城跡マップ]


より大きな地図で 竹田城跡 を表示

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