建武3年(1336年)に毛利時親が築城し、毛利元就が郡山全山を城郭化して山頂に移るまで、毛利氏11代・約190年間本城としていた。本丸・二の丸・三の丸を直線的に階段状に並べた、単純な縄張りである。
旧本城への道は、尾崎丸跡手前にあり、そこからまたかなり降ろされる。せっかくかなり登ったのに、この分また登らないとと思うと気が重くなる。
①堀切
旧本城の背後(山頂側)には3本の堀切がある。写真は一番良好な状態で残っている(恐らく)真ん中の堀切。残り2本は埋まってしまってかなり浅くなっており、そのうち1本は堀切かどうかも良く分からない。
②登城路?
堀切を越えた先は本丸跡切岸があり、そこに「旧本城→」の案内板があるが、その先を進むと道が行方不明となってしまう。仕方なく道をもどって登れそうなところを探すと、案内板の少し先に踏み固められたような跡があったので、ここから強引に登る。
③本丸跡
崖っぽいところを登った先は一辺約37mの平地が広がっており、ここが本丸跡。標高293m、比高約90mとなっている。
④土塁
本丸跡の背後には櫓台があり、北(山上)側は3本の堀切と櫓で守られている。
⑤帯曲輪
本丸の南側、一段下がったところに帯曲輪がある。
⑥二の丸跡
本丸の南東側、二段下がったところにある二の丸跡。南北70m、東西13mの大きな曲輪だった。
⑦三の丸跡
二の丸の南東側にさらに一段下がって三の丸跡がある。
[郡山旧本城マップ]
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