加古川城跡の次は、加古川線に乗って丹波まで行き柏原陣屋跡へ。
柏原陣屋は織田信雄の孫・信休が中国山地の東端の中山間地域に築いた。
柏原藩は最初、信長の弟・信包が3万6千石で入り3代続くが嗣子なく断絶。その後は天領となるが、1695年に信雄の孫・信休が宇陀松山藩から移封、このときに柏原陣屋を築いた。以後、明治維新まで、10代にわたり織田氏が治めた。
①長屋門
長屋門は柏原陣屋の表門にあたり、創建時から残る唯一のものである。
②長屋門入口
③表御殿
表御殿は初代信休により築かれたものであったが、1818年の火災で焼失、1820年に再建された。その再建されたものも明治維新後に大部分が解体され、現在ではおよそ5分の1が現存しているにすぎない。
④表御殿玄関
表御殿の西側にある玄関。
⑤表御殿表面表示部
表御殿の北側は、解体した表御殿の建物範囲や間取りを、表面表示している。
⑥表御殿平面図
表御殿の平面図。表御殿のうち北半分近くは、現存ではなく昭和なってから改築されたものだった。
⑦太鼓櫓(移築)
太鼓櫓は大手門にあり、番所や物見櫓の役割も果たした。明治になってから石田大蔵神社境内に移築された。
[柏原陣屋跡マップ]
より大きな地図で 柏原陣屋跡 を表示
0 件のコメント:
コメントを投稿